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 それからティアナはテーブルに並べてあったカップにお茶を注いでいく。カップが湯気で見えなくなり、隙間から透明な赤色が覗く。陶器が熱を持っていることに注意を促しつつ、ティアナはテーブルに座る五人にお茶を渡していった。ソレイユとシュウが急いで卓上に散らばる紙や本をまとめる。
「美味しいです」
 お茶を一口飲み、ユーレカが顔を綻ばせた。カップを置き、物珍しげな様子で砂糖瓶に手をかける。瓶に詰まった真っ白な立方体に目を細めてみせたあと、蓋を開けて角砂糖をお茶に落とした。それから躊躇いもなく、同じものを二つ三つと加えていく。その隣で、信じられないといったようにファスがユーレカを見つめた。
 それを見てティアナも笑い、
「アーク、あんたも座って飲みなさい」
 自身のカップにお茶を注ぎ、そのカップと中身の少なくなったポットを持ってカウンターへと戻った。
 アークは口を開き、カーライルたちを見る。唇の隙間から息が漏れる。カーライルたちは皆お茶を飲んでいて、長時間頭をつきつけていたせいで固まった心身をほぐしていた。
「……あの、ソレイユさん」
 ソレイユがカップから顔をあげる。
「……ちょっとこの文字、父の本の中に似たものがあるか見たいので、これ、借りていってもいいですか」
 アークは手に握ったままの紙を示す。
「ええ、返すのはいつでもいいわ。皆同じものを持ってるから」
「ありがとうアーク、でも分かったらでいいから」
 ソレイユが微笑み、カーライルが言葉を重ねる。アークは二人に礼を言い、
「じゃあ探してみます」
 と踵を返した。
 紙を右手に下げたまま階段を上る。二階に上がると階下の喧騒は遠ざかり、シュウやユーレカの声が細く届いてくるばかりになる。そのまま方向転換して三階へと続く階段に入り、数段飛ばしで駆け上がる。太股が思い出したように痛んだが、勢いを落とさず廊下を走った。突き当たりに差しかかり、間髪入れず、そこにあった自室の扉を開ける。
 部屋の西側には本棚があり、そこには父イクスの蔵書が並んでいる。しかしアークはそちらに向かわず、一目散にベッドへと向かった。
「――――っ」
 肺に残っていた息を吐き出し、布団に倒れ込む。途端、部屋中に、文字が広がった。
 それはいつもの「浮かんでいる」というような類のものではなく、アークを中心として流れ出るような、渦を巻く風のようなものだった。見えない紐にいくつもの文字を通し、これまた見えない踊り子がそれを回しながら演舞をしているようにも見える。そして何より、その文字は、アークの手にする紙に書いてあるものと同じだった。
「……は、……」
 アークは堅くつむっていた目を開ける。そこに文字が現れているという事実に、予想が的中したと口角を上げようとしてみせる。しかしそんなことをしても気が紛れることはなく、右手を開いて紙から手を離した。それでも文字が消えることはない。
 先程ソレイユからこの紙を受けとったとき、何かが背中をせり上がってくるような感覚に襲われた。吐き気というほど嫌悪感を含むものではなく、あの文字が現れるときの肌が粟立つ感じに似ていたから、またあの「文字」だろうと何となく予想はついていた。ああ、何でこんなときにといった焦りと、近頃この謎の文字が現れる間隔が近くなっているという不安がアークの中で入り混じる。どんどん拡大するその渦に耐え切れなくなって、自室へと走った。
 はあ、とアークはまた一息吐く。ベッドに預けた肩から下がだるい。それは部屋に来るのに全力疾走したせいもあるだろうが、この不意に現れる文字の置き土産のようなものでもあると経験上知っていた。
 文字は部屋中を占拠したまま、音もなく踊る。飽きもせず同じ経路をぐるぐると、その勢いは一向に衰える気配はなかった。
 ベッドに身を横たえたまま、それらを見つめる。空中に、先程まで手にしていた紙と同じものが表現されていることに驚きを覚える。紙を持った瞬間文字が現れそうになるなど、そして紙に書いてあるものが宙に現れるなど、こんなことは今までにはなかった。
「一体どうしろって言うんだ……」
 アークが困惑の滲む口調で呟く。諦めたように瞼を下げかけたそのとき、
「……天秤、……王……?」
 再び双眸を大きく見開き、続けて上体を起こす。その視線の捉える先では、文字が外界に表象された喜びを示すかのように螺旋を描いていた。
 その光景をしばらく見つめた後、アークははじかれたようにベッドから飛び降りた。たった今夢から覚めたような表情で、壁に寄せてある机に向かう。がたがたと音を立てて椅子に座り、紙と羽根ペンを引き寄せた。
「こんなことって……」
 言葉が口から零れ出ている自覚もないままアークは文字を凝視し、羽根ペンを紙の上で滑らせ始めた。


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