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第四章



 風が緩やかに流れ、それぞれが後方で結ばさっては散っていく。アークは手綱を右手に巻きつけ、建物が一定の間隔で並ぶ村の中を歩いていた。
 ムーア谷、そして宿「鈴蘭の音色」に近い場所に位置する村である。人口は少なく、面積もけして広いとは言えない。村人の生活は基本農耕と牧畜によって成り立っている。また「鈴蘭の音色」と同様に、隣国への出入りをする人々が落としていく金で経済が回っている、小さな村だ。「鈴蘭の音色」で提供する食事の材料はすべてこの村から購入したもので、アークとティアナは定期的に買出しに来ていた。
 アークは一本道を進んでいく。その歩みに追随する影のように、蹄の音が響く。アークの引く手綱の先には一頭の馬がいた。
「トラスト、もうすぐ着くから」
 アークは首を傾けて後ろに声をかけた。トラストと呼ばれた馬は尾を一際強く振ってそれに応える。
 この馬は、「鈴蘭の音色」で一頭だけ飼っている馬だった。基本はアークやティアナが買出しをする際に、村までの時間短縮や荷物持ちに尽力してくれる頼もしい供だ。体格は馬の平均とそれほど変わらず、全速力で走ればかなりの距離を短時間で走れるはずだが、性格はとてもおとなしい。その黒い瞳からは理知的な色が読み取れる。騎手の意図をよく読み取る賢い馬で、走り回っては周囲に迷惑をかけるこの村で、静かにアークのあとを付いてきていた。
 一人と一頭はしばらく歩き続け、やがて村の外れまでたどり着いた。ここまで来ると建物もまばらで人通りも少なく、どことなく寂しい印象を受ける。ぽつんと離れて建っている一軒の建物にアークは近づき、馬を止めた。
「ここでちょっと待ってて」
 アークはそう言い残して、目の前の建物に入っていった。そこは村で唯一の石造りの建物で、入り口脇に打ち付けられた板には「フィリア国北方第三駐在所」とあった。が、その文字も年月に負け掠れて読み取りにくくなっており、設立当初の仰々しさからは程遠い。要するにこの建物は村周辺で何か問題が起きたときに対処する駐在所員の本拠地であり、同時に簡易ではあるが罪人を捉える牢を備えた施設だった。問題が起きることは滅多にないため、人の出入りも利用されることも少なかったが。
 アークは扉を押し、慎重さを滲ませながら中に入る。噂こそ聞いたことはあったもののこの駐在所の中に入るのは初めてで、まずどうしたらよいものかと緊張が背中を走る。辺りを見回しても人の姿はなかった。
 駐在所の天井は低く、壁は暗い色をしていて室内はどことなく薄暗かった。置かれたテーブルや椅子は実用性を最重視したもので装飾性のかけらもない。テーブルの上には紙や本が雑多に散らばっており、ろくに整理整頓されていない様子が伺えた。
「すみません、」
「一体何のようだ、お前」
 アークが声を張り上げようとするのと同時に部屋の奥から言葉が飛んできて、アークは思わず身を震わせた。自分が不法侵入をしたような気分に襲われる。気後れしながらも、アークは奥の部屋からやってきた男に向けて口を開いた。
「こんにちは、あの……先日ここに入った盗賊の方たちに会わせていただきたいんですが」
 何とか言いたいことを伝えると、対して男は不審そうな顔をして顎の髭を撫でた。
「盗賊に会いたいだ? まさか脱獄の手助けをするってんじゃないだろうな」
 男はそう言って、アークのもとへと近づいてきた。彼が一歩進むたび、靴底が石の床で擦れる音が聞こえる。あまり手入れのされていなさそうな髭を持つ、中年の男だった。彼がこの駐在所の所員であることを示す制服を着ていなければ、それこそ盗賊か何かと間違えてしまいそうだ。
 いぶかしむ男に、アークは必死に弁解をする。ただ話をしたいだけだという旨をやたら時間をかけて説明すると、男はしぶしぶながら納得したようだった。
「よく見りゃお前、宿の息子じゃねぇか。俺は仕事があるからあそこの宴会は行けてないが、いつも土産のおこぼれに預かってるよ。……じゃあ看守を呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」
 男は少し表情を崩し、奥の部屋へと入っていった。月に一度の宴会のあと、ティアナは客に料理の残りなどを持たせることがある。今までただ眺めてきただけだった彼女の習慣に、アークは初めて感謝する。ほっと胸を撫で下ろし、部屋の奥を見やった。
 しばらくして、奥の部屋から別の男が現れた。背の高い、先ほどの男よりも若いと思われる男である。ひょろりとした風貌のその男の制服はどことなく着崩れており、ぼんやりとした様子は先ほどまで彼が居眠りしていたのではないかと思わせた。
「囚人に会いたいって? これまた君も物好きだねえ」
 看守は間延びした口調でそう言い、壁にかけてあった鍵束を手に取った。遠目に見ても一つ一つが錆び付いていることが分かる、長いこと使われていなさそうな鍵だった。鍵束は看守の手の中でざらりと揺れる。
「本当はあんまり良いことじゃあないんだけど、君はまあ悪戯で牢を覗くような子じゃあなさそうだし」
 看守はさらに机の上の帽子を手にとり、それを深く被った。その後に今回は特別だから、と眠そうな表情のままにそう言い、アークを手招いた。


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