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  翌日の夕方、一階にいるカーライル達のもとをアークが訪れた。一つのテーブルを囲んで食事をとる光景は最早恒例である。
 アークの手には数枚の紙が握られており、目は喜びとも悲しみともつかぬ色を帯びていた。
「カーライル。これ」
 それだけ言ってカーライルに紙を手渡す。カーライルは黙って受け取り、シュウやファスなどは好奇の視線をそこに向けた。
 重なった紙の一枚目はアークがソレイユから預かっていたものであり、本にあった文章をそのまま写したものである。カーライルはそれをさっと目を通しただけでめくる。二枚目に入り、怪訝に目を細めた後静かに瞳孔を見開いた。
「……アーク。これは」
 そこに満ち満ちた驚きに、
「何だよ、カーライル?」
 耐え切れなくなったシュウが身を乗り出す。カーライルは手の中の紙からシュウ、アークへと視線を移し、意を決したように紙を卓上に並べた。一番端にどこの国のものとも分からぬ文章の写し書きを、その隣にアークの筆跡を置く。アークが書いたものには線による訂正や文章の書き足しがいくつもなされ、読み取りにくくはなってはいたが、何とか繋げて読める程度にはまとまっていた。向かい合って座るファス、ユーレカにも伝わるよう、カーライルはそれを読み上げる。

 天秤傾きて、種々なる災い訪れり。天怒り地全てを飲む。
 人の腕空にして世に八虐蔓延るに、道渡る者無く、惑いて君仰ぐも術無し。只手を合わすばかりにて、口より零るるは白息のみ。
 六月経ちて、月の無き夜、扉開かれし。其は白昼の如き明き夜。人驚きて出で来て、王に見ゆ。
 然して災い去りて、今は只扉守らんとするのみ。
 観測官見聞録、一六二頁

 終わりに近づくほどに、カーライルの声は疑問が研ぎ澄まされていくように定まっていった。他の四人はただ静かに信じられないといった様子で、あるいは何を考えているのか読み取れない目で紙を見つめている。
「アーク、これは……」
 カーライルが先ほどと同じ言葉を口にする。
「これはあの文章に書いてあったものの訳かい?」
 普段は温和な彼からは余談を許さない、突き刺すとも取れる視線が放たれていた。
 アークは手の平が湿り、喉が鳴るのを意識する。
 信じてもらえるだろうか、紙に書いてある字がそっくりそのまま宙に写し出されて自身の周りを泳ぎ、眺めていると途切れ途切れではあったがその意味する所が分かったなどと。どこの国のものとも分からない、文法構造の推測すらつかない文章が、水が突如として湧き出るようにアークに概略を伝えていったなどと。どうして信じてもらうことが、できるだろうか。
 カーライルたちの調べている文章の意味らしきものが分かったところで、それを伝えるべきか否か迷うことになった。どう説明したら良いのか途方に暮れ、それでも、ずっとこのことを調べ続けている彼らを少しでも助けてあげたいと思った。不自然さ不審さは承知している。書き上げた訳を見せる覚悟は決めたものの、いざ彼らを目の前にしてみるとその覚悟は深まるどころか寧ろ揺らぐような気がしてくる。
「……昔」
 アークは口を開いた。十の瞳が、改めてアークに収束する。
「僕がまだ小さい頃に、イシュメルっていう人が泊まりにきて、僕にこの文字のことを教えてくれたんだ。随分昔のことで、僕自身そのことも忘れていたんだけど。……多分、その人にとっては暇つぶしだとか、何でもないことだったんだろうけど……。それで合ってるかは分かんないにしても、思いつくだけやってみたんだ」
 だからあてにできるものではないかもしれない、けど。字面だけを変えた同じ台詞を殊更強調するようにして、アークは小さく結んだ。
「アーク君に教えてくれたその人って、どこの国出身なの? この大陸ではないわよね」
「ああ、それが分かれば俺たちの今回の調査の目的もほとんど達成されるってわけだ」
 ソレイユが逸る気持ちを抑えるように言い、シュウも同調する。
「それは聞いた覚えがなくて……顔もよく覚えてないんだ、それに」
 一息吐いて、アークは両目を伏せた。
「その人は宿を出たその日に亡くなってしまったから」
 しばしの沈黙の後、妙に張り詰めた空気をほぐすかのように、カーライルが静かに息を吐く。
「俄かには信じられない話ではあるけれど……アークがそう言うのなら、本当……なんだろうね。君はこういうところで嘘をつくような子じゃないから」
 その言葉に、アークは無意識のうちに顔を下げる。カーライルはそれには気づかなかったようで、自らの部下である四人に視線を送った。
「それじゃあ私たちは部屋に戻るよ。アーク、また後で話を聞かせてもらうことになると思うけれどいいかい?」
 アークが頷くと、彼は卓上の紙を掬うようにして取り上げた。空になった夕食の食器をユーレカやソレイユがまとめ、手際よくカウンターへと戻す。それからカーライルを含む五人は自室へと戻っていった。
 そこでアークの渡した紙の内容を、改めて検証するのだろう。いくら顔馴染みとは言えアークは宿屋の子どもである、悪戯で事態を引っ掻き回した可能性があると思われても不思議ではない。
「は、あ……」
 アークは先ほどまでカーライルが座っていた椅子に腰を下ろす。一つの感情が体の内に重くのしかかっていた。名前と原因は分かっている。
「嘘をついたわけじゃない……でも」
 口の中で言葉を転がし、椅子に両手の平を突いて天井を仰ぐ。物心着いたときから毎日目にしているものではあったが、その木目は日によって違ってみえた。今日はいつもよりも激しく蛇行していて、その歪みは遠回しにアークを責めているような気がした。
 首を戻し、テーブルに向き直る。そのままアークは木板にうつ伏せになり、深く息を吐いた。


 第四章、了


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