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「……意図」
「それが人のものであるのか何のものであるのか、それは分からないけれど」
 カーライルの言葉に、神という言葉がふっと浮かぶ。アークに信仰していると呼べる、具体的な名を持つ神はいない。先日話に聞いた神のことを思い出す。その神を信仰する教団によれば、この災害の多発する世でも祈りを捧げれば救われるという。あるいは反対側から屈折した見方をしたならば、教団の言うその神こそが災害を引き起こしている張本人であるという考えはないのだろうか。
 アークが見つめる先で、カーライルが再び口を開く。
「そもそも何故私たちがこれについて調べ始めたかというと、過去に似たような事例を見つけたからなんだよ」
 そう言い、テーブルの上に置いていた本の一冊を掴む。慣れた手つきで紙をめくりながら、「この本は本当は持ち出し禁止なんだけど、黙認で頼むよ」などとさりげなく不謹慎なことを口にする。彼の助手であるはずの四人が誰も何も言わず目を逸らしているのはどういうわけだろうか。
「……あった。五六九年」
「随分昔なんだね」
「そう。だからほとんど情報が残ってないんだ」
 カーライルは持っていた本をアークの目の前に置き、そのページを示して見せる。
 そこには五六九年、各地で起きた災害とおおよその被害が並べ立てられていた。先ほど見た現在の被害状況よりも被害が大きいのは、単純に規模の問題か対策の程度の問題か。どちらにせよ、数があまりにも多い。
「だから五六九年以降、津波や地震といった災害に耐えられるような村作りが急速に発展するんだ。人々は諦めることなく、失ったものをもう一度作り直した。宗教者たちはこの年を好き勝手に解釈しているようだけど」
「……積もりに積もった神さまの怒りが爆発したとかね」
 ソレイユがぼそりと呟く。
「精霊王が改革を起こそうとしたからだっていう話も聞いたことあるな」
 シュウがふざけたようにそう言ったものの、その口調はどことなく苦いものだった。
 アークは開かれた本をなぞるように読んでいく。紙に平たく刷られた文章は水と油のように心に染み入ることはなく、ただ被害の甚大さと、今と当時の間に立ちはだかる時間という隔たりを感じさせるばかりだった。何か言おうとするものの、適切な言葉が何も喉を上ってこない。
「アーク、その下に」
 カーライルが開かれたページを指差した。アークはカーライルの顔を見たが、そこに感情の揺らぎは見て取れなかった。本に視線を戻して更に顔を近づける。
「五行ほどの文があるだろう? 前置きが長くなったけれど、これが聞きたかったことなんだ。……アーク、この文字に見覚えはないかい?」
 そこにはそれまでの記述とは違う文字が連なり、五列の線を成していた。フィリアで使われる言語には似ておらず、全体的に丸みを帯びている。装飾とも見て取れるような複雑な形をしていて、一つ一つの識別がとても難しかった。
 ……カーライルはきっと、調査が煮詰まり進展の気配がないために、状況の打破を狙って僕に声をかけたのだろう。万が一にでも次の調査への糸口が見つかれば御の字だといった調子だ。僕が宿屋の子どもであり、色々な旅人と出会っているからもしかしたら知っているかもしれない、という理由も上げられないことはないけれど、前者が主なものであるに違いない。親しみのない文字を見つめながら、アークはぼんやりとそんなことを思う。
「あの、アーク君」
 じっと目を細めるアークに、見かねてソレイユが口を開いた。
「その本の字は小さいからこっちを見るといいわ。調査をするために写したものだから、中身は本と全く同じよ」
「ああ、ありがとうございます」
 アークはソレイユの持つ一枚の紙に手を伸ばす。紙のざらりとした感触が伝わる。受け取り、アークは僅かに目を見開いた。再び口を開いたとき、右肩にふと重みを感じた。
「ごめんなさい、お話し中に失礼しても良いかしら」
 首だけで振り返ると、ティアナが右手にポットを持って立っていた。カウンターにちらりと目を遣ると、先程まで座っていた客の姿はなくなっていた。どうやら自室に戻ったらしい。
 ティアナはアークの肩から手を外し腰に当てた。右拳は高く掲げ、注ぎ口から湯気の溢れるポットをアークの目の前にかざしてみせる。
「まったく、あんたはポットを火にかけたんなら責任持って最後まで見なさいよ、沸騰しすぎて吹きこぼれるところだったわ」
 そう言って眉を吊り上げる。彼女が顎で示したすぐ隣のテーブルでは、七つのカップが中身を入れられるのを待っていた。
「ああ、引き止めたのは私たちなので………すみません、ティアナさん」
 カーライルが柔和な表情を崩さないまま謝る。するとティアナは表情を一転させ、
「いいえ、大切なお客様にお茶をお出しするのが遅くなってしまったのはこちらの不手際ですから」
 営業用の笑みをすらりと見せて応えた。


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