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「そこの牢だよ」
 細い廊下の突き当たりで、振り向いて看守はそう言った。左右どちらを見てもそこには格子が並んでおり、人のいないがらんとした牢の中に薄暗い静寂が横たわっている。牢の中には小さな窓が開けられてはいたものの、その大きさは明かりを取り込むには小さすぎ、空気の入れ替えをするにも不十分だった。空気が重くまとわりついているような感覚が上ってくる。
 看守が示す牢に向かいアークは進み、黒い格子と格子の隙間から中を覗き見る。その牢には木を打ちつけただけの簡易ベッドなど、最低限の物しか置かれていなかった。そして壁によりかかるようにして、四人の男が座っている。
「それじゃあ十分位経ったら戻ってくるから。何かあったら呼んで」
 看守は異常がないか確かめるように首を回し、それからアークに声をかけて戻っていった。彼なりにアークのことを気遣ってくれたのだろう。看守が遠ざかっていったのを見、アークは口を開いた。
「こんにちは」
 簡単に一言、今や牢の中で、起きているのか眠っているのかも分からない盗賊たちに挨拶する。返事はない。構わずアークは続けた。
「一つお聞きしたいことがあって、来たんですけど……何であんなことを、してたんですか」
 それは彼らに遭遇して以来、ずっと頭の隅でくすぶっていた疑問だった。傷つけられた足の痛みを意識するたびに重なるように増えた。どうして盗賊になったのか。なぜ店や村を襲うようなことをしていたのか。少しの金、貴金属が欲しいのならば一つの街を拠点にして盗みを繰り返せばいい。なぜあちこち盗んで渡るような真似をしていたのか。盗みをすることに良心は痛まなかったのか。大の男四人が、まさか善悪の区別もつかないわけではないだろう。盗賊たちが捕まったとティアナから聞いたとき、それら全ての疑問をぶつけたいと思った。
 アークは返事を待つ。盗賊たちは身じろぎ一つしなかったが、寝息は聞こえない。眠っているのではないということは分かった。
 そのまま幾許かの時が流れ、返事は得られないかとアークは踵を返しかけた。
「……地震だよ」
 ぽつりと発せられた声に、皆が静かに注目する。若い男が顔を上げ、虚空を見つめていた。これといって表情から読み取れる感情はなく、しかしただその両目だけが黒い光を帯びている。
「はっ、あれで何もかもなくなった! 俺たちが築いてきたもの全て、家が崩れて家畜も死んで、手元には何にも残されてなくて──」
「止めろ」
 冷ややかな声が若い男を制した。あの夜に森でファスが相手をした、低い声の持ち主だ。若い男は口を閉じぬまま、相手に焦点を当てる。そしてそれ以上何も言わず、ふっと息を吐いて両目を閉じた。その瞼が再び上げられたときには、彼の目は何も映していなかった。一分の隙間もなく濃く均一に塗りつぶされているのに、鏡というよりもこちらを沈み込ませそうな様相である。
「我々は何も語るつもりはない」
 先ほど口を開いた男がアークの方を見ずに言う。
「我々に呆けているような暇はなかった。ただそれだけだ。何を思っているかは知らんが、お前が逸れるような道ではない」
 アークには返す言葉がなかった。格子によって区切られた男たちと接する方法は言葉以外ないというのに適当な台詞は何一つ浮かんでこず、むしろより深くへと押し込められていくようだった。同情するのも憤るのも、この場には相応しくないような気がした。アークが森で出会った彼らと今の彼らには、向ける言葉も感情も違うものであるべきように思えた。
 アークが立ち尽くしていると、鈍い足音が近づいてきて看守が顔を見せた。
「そろそろ面会時間が終了するんだけど、良いかな」
 ゆったりとした歩調とともに、看守はそう言った。アークは改めて格子の奥を一瞥する。盗賊の誰か一人とさえ視線が噛み合うことはなかった。
「お邪魔しました、ありがとうございました」
 アークは軽く上半身を折る。案の定返事はなかった。体を戻し、アークは看守に頷く。
「それじゃあ行くよ」
 看守は踵を返し、現れたときと同じように歩き始めた。アークは看守のあとを追う。
 逸れるような道ではない、と盗賊の男は言った。ならばあの男たちには道を逸れているという感覚があったのだろうか。脱線してしまったことに薄々気がつきながら、それでも悪事を繰り返していたというのか。
 看守の足取りはまるで真っすぐ前に進んでいないかのようにゆっくりで、その分アークには思考を巡らせる余裕があった。自分の心のうちに集中していたせいで、牢が全て数えていくつあったのか、それすらも曖昧である。そう広い建物ではないため両の指で数え切れるような数ではあるだろうけれど。
「はい、お疲れさまでした」
 廊下の突き当たりで看守が鍵束を揺らし、そのまま独特な調子の彼に見送られてアークは牢を出た。陽の光がろくに届かない牢はやはり空気がよどんでいたのか、風が一斉に肺に飛び込んでくる。深呼吸し、アークは牢の前に繋ぎ止めていた馬のもとへと向かう。馬は道端の草を静かに食んでいた。
「お待たせ、トラスト」
 アークが声をかけると、馬は頭を上げた。アークを見つめ、口に残っている草を飲み込もうとする。
「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」
 アークは笑い、馬の鞍に手を置いた。先ほど会ったばかりの盗賊たち、そして先日の夜に見た彼らの姿が頭を掠める。
 僕はどんな答えを期待していたのだろう。
 疑問がさらに複雑に絡まったのを感じながら、アークは空を仰いだ。均一に透明な青空に何本もの雲がたなびいている。その淵は橙色の染料でなぞられたかのように染まっていた。何てことはない夕暮れの風景に心を奪われていたアークに、注意を促すように愛馬がいなないた。
「ああ、ごめん。……帰ろう」
 アークは鞍に足をかける。風がアークの髪を掬っていった。


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