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「ああ、それと」
 紙をめくり、新たな面を開いてユーレカが続ける。
「最近そういう災害が多いのに対して、ネディア教が騒いでるみたいです」
「ネディア教?」
 アークが首を傾げる。見るとシュウも不思議そうな顔をしていた。ファスは相変わらず作業を続けていたが、耳だけは傾けているようだ。
「二人の神のピアの方を崇める宗教ですよ……カタリナの方じゃ結構有名です。災害がこんなに多いのは、世界の終わりが近づいているせいだ。今からでも遅くはない、ネディアに入ってピアに祈りを捧げれば救われる。そうやって今、信者を増やしてるみたいです」
 アークは思わず苦虫を噛み潰したような表情を作る。何かを信仰するのは個人の自由だが、それを他人に強制するのはあまり気に入らない。
「……へえ」
 シュウも同様の考えを抱いていたようで、複雑そうな顔をしたままそれだけ言った。それからファスを振り返る。
「あれ、ファスのとこってネディア教が国教だって言ってなかったっけ? ってことはファスもネディア教徒だったことがあるのか?」
 ファスは布で剣を拭く手を止め、顔を上げた。
「国教にする動きがあった……昔、王子が信仰していた。今はどうなってるのか分からん」
 ファスは低い声で言った。どこか堅い感じのする口調だった。そして目線を落とし、何かぼそりと呟いた。そのまま何事もなかったかのように手入れに戻る。
  最後の言葉はどういう意味だろう。アークは目を見開いてファスに視点を当てる。アークにはリ・デクィアメデというように聞こえたが、意味が分からない。ファスが今までほとんど喋っていなかったことを考えても、彼はただ寡黙というだけではなく、もしかしたら他の大陸の出身なのかもしれなかった。
「まったく、世の中に一体いくつの宗教があるんでしょうね」
 世俗への憂いを何とも思っていないような表情で呟いて、ユーレカはまた新聞をめくる。
「シュウ、他にも聞きたいですか?」
 シュウは片足を折り曲げて、その踵を座席部分に載せているところだった。
「うん? ああうん、頼むよ」
 ユーレカは記事の中からいくつかをかいつまんで説明していく。シュウは椅子の上で楽な姿勢をとり、アークは生地を折りたたみ伸ばす作業を繰り返しながら、時折感嘆の声を上げつつ相槌を打った。
 やがて陽も暮れ、買い物に出かけていたティアナが帰ってきた。体の前に抱えられた紙袋からは野菜や果物などの食料品が覗いている。
「お帰り」
 アークはティアナから紙袋を受け取って、その中身を広げた。調味料は棚へ、瓶入りのものはカウンターの下へ。保管場所の違うものごとに分けて仕舞い込む。果物は夕食後に客に出そうと思い立ち、カウンターに並べたままにした。
「あとは明日の午前中に届くわ」
 安く買い物ができたのか、ティアナはどことなく嬉しそうった。彼女は村で買った物を列挙していく。指を折りながら数える彼女の言葉をなぞりつつ、アークは窯の中を覗き込む。炎が酸素を取り込み、一際大きく揺らいだ。窯の上部にある鉄板を、直接触れないように四苦八苦して取り出すと、炎が未練を見せるように鉄板を舐めた。
 アークは鉄板の上に敷き詰められた器を見て、顔を綻ばせる。焦がすことなく、丁度良い焼き色にできたようだ。
「あら、美味しそうに焼けたじゃない!」
 ティアナが目を輝かせ、体を乗り出した。
「お客さん優先だからね、姉さん」
 アークは眉をあげる。しかしティアナが年甲斐もなく拗ねたように頬を膨らませたので、すぐに表情を崩す。アークは笑いながら、厚手の布を両手に持ち、器をお盆の上へと運んだ。
 料理の匂いが上階へと流れて一部屋一部屋、扉を叩いて回ったのか、部屋にいた宿泊客がちらほらと姿を見せ始めた。ファス、ユーレカ、シュウも戸口に近いテーブルの一つに収まっている。一人一人に食事が行き渡り、酒をあおる者が出てきたことも相まって一階は急速に活気を帯びた。ティアナは表情を二転三転させ、客を気遣ったり料理や酒の二杯目を届けたりと立ち回る。
 皿を開ける客が出始めた頃、ティアナはようやく落ち着いてカウンターにもたれかかった。
「ああ、そう言えば」
 アークに顔を見せずティアナは続ける。アークも右手に調理用の小型ナイフを掴み、左手を果物に伸ばしていたので視線を向けることもなかった。
「久しぶりに郵便局に寄ってきたんだけど、手紙を一通渡されたわ……リアナ宛ての」
 手の中の果物に視線を縫い留めたまま、アークは両目を見開く。
「リアナ宛て、って」
「ええ。聞いたら何だか、郵便局の間での不手際みたいで……手紙が出されたのはかなり昔らしいんだけど、村の郵便局に運ばれずにいたそうよ」
 職務怠慢にも程があるわよね、と彼女は小さく笑う。それは笑うより他に仕方がないといったような、苦笑と呼ぶには苦々しさの比重の重い一面を持つものだった。
「アーク、読んでくれる? 私は読まないから」
 ティアナは懐から白い封筒を取り出す。村の郵便局で受け取ったときからずっとそこに入れていたのだろうか、その長方形は四隅が少しくたびれていた。
「いいけど……こんな手紙が来るのなんて、本当に数年ぶりだね」
 アークはようやくティアナの顔を見、手紙を受け取る。手紙は中に堅い紙でも入っているらしく、指と指の隙間で確かな存在を主張した。
「そうね、今回の郵便局側のことがなければ、来なかったんじゃないかしら」
 相槌を打ちつつ、しかしティアナは別のことを回想していた。一体いつのことになるか、最早はっきりはしないがリアナが繰り返し口にしていた言葉である。
 ティアナ、私が居ないときは、代わりに手紙を受け取ってくれる? 別に返事を書けとまでは言わないわよ。ただ、封は開けてほしいの。さらっとでいいから目を通して。
 真剣な表情でそう言うリアナに、それは差出人に失礼ではないかと、さすがのティアナも呆れた顔を見せたものだ。
 大丈夫大丈夫、手紙だって読まれた方が喜ぶわ。読まれるために書かれて封までされたのに、いつまでも放っておかれるなんて可哀想じゃない。
 指を突き立てるリアナに、秘密主義もあったものじゃないわね、とティアナは返す。季節が何度か巡るたびにリアナは手紙のことを持ち出し、そのたびにティアナが、反論するものの言いこめられてしまうのだった。
 リアナには何かしらの予感があったのではないかと、彼女がいなくなった後、ティアナはそう思うようになった。一体どうやって知り合いになったのか、彼女にはあらゆる所に友人がいたようで、世界中から間断なく手紙は届いた。差出人は大抵は違う人であり、また飽くまでリアナとその友人の関係に、許可もなしに土足で踏み込むことを望まなかったティアナはその名前も覚えていない。精々、今度は(といっても実際に手紙が書かれたのは相当昔のようだが)どこからの手紙なのかしら、とぼんやりと思う程度だ。
「姉さん、じゃあ読んだら、この手紙も箱に入れておくから」
 アークは確認を取るかのように、手紙の裏側を見せた。
「頼んだわ」
 ティアナはそう言うと、アークがまだ手をつけていなかった果物を拾い上げる。
「この実も熟して、食べるのに良い時期じゃない? やっぱり良い買い物したわ、私……アーク! ここにあるの、全部皮を剥いて!」
 ティアナは打って変わって音調を明るくした。人使いが荒い、とアークは嘆息し、同時に笑みを浮かべた。


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