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アークがいつものように一階でシュウ、ユーレカと他愛のない話をしていると戸口のベルが揺れた。高らかな音色に皆が一斉に戸口へ注目する。アークはいらっしゃいませ、と言いかけて思わず声をあげた。
「カーライル!」
 アークの弾んだ声は、同時に発せられた他のものと重なった。シュウとユーレカもそう口にし、ファスも戸口に目を当てる。アークは視線の集中する先へと駆け寄った。
「やあ、アーク。久しぶりだね」
 現れた男、カーライルは朗らかにそう言った。四十代に見える男である。落ち着いた焦げ茶色の髪に、眼鏡の奥から柔和そうな表情が覗いている。細身ではないが堅い印象を与えるわけでもなく、物腰は穏やかだ。左肩に中身のつまった鞄をかけていて、それを下ろしたのを見計らいアークは受け取った。腕に沈む重さだ。
「カーライル、今回は何日位いる? 部屋は、」
 アークはカーライルの鞄を手近なテーブルに載せて振り返る。言いかけたアークに、カーライルは宿の中へと入り込んだ。それから唇の両端を上げ、
「部屋はこっちの三人と一緒で」
 ファス、シュウ、ユーレカの三人を顎で示した。その仕草に、先ほど彼がやって来た際にシュウとユーレカも反応していたことを思い出す。
「アーク、馬を置いたら今もう一人来るから、五人部屋で頼むよ」
 カーライルは勝手知ったる風で三人の集まるテーブルに座った。カーライルが馴染みの客であるティアナも、カウンターから出てきてテーブルに向かう。三人には既に五人部屋に入ってもらっているから、アークには特にやることがない。カーライルと久闊を叙したいところではあったが、それよりもまずカーライルとシュウ、ファス、ユーレカが話をしたい様子だったので遠慮する。アークはカーライルに頷き、あとはティアナに任せて馬屋の方に行くことにした。
 「鈴蘭の音色」にある馬屋は比較的小さなもので、馬が五頭ほどしか入らない。この宿はフィリアと隣国テセルキィアを行き来する人々によく利用されるが、テセルキィアの住人には馬に乗るという習慣がない。彼らは自らの足を頼みとし、時には遠くに望む風景に目を凝らしたり、時には首が痛くなるまで空を見上げたりしながら進むことを好む。馬は荷を引いてくれる動物ではあっても上に乗る動物ではない。そんな中でフィリアの人間が馬とともにテセルキィアに行くと、自分たちと違うということをより強く意識するのか、よそ者であるという目で見られやすい。そのため、鈴蘭の音色に馬でやってくる客は少ないのだ。「鈴蘭の音色」には馬が一頭だけいるが、それは年に数回、内地へと大きな買い物をしに行く際に出番が訪れる馬だった。
 宿の裏手へと回ると、馬が鼻を鳴らしているのが聞こえた。簡素な設計をもとに建てられた、木造の小さな小屋からである。それを手繰るようにしてアークは馬屋の入り口へと向かい、中を覗き込んだ。一頭ずつ入れるように区切られた空間があり、一番奥に宿の馬、さらにそこから手前に向かって二頭の馬が収まっていた。真ん中の馬を女性が諌めている。
「ラドル、おとなしくしなさい! フィロソフィはこんなに静かなのに、一体誰に似たのよ」
 女性の叱咤に、その馬は反抗するようにいななく。尾が震えた。
「まったく、毛並みを整えるだけって言ってるでしょう? ブラシを通すのぐらい我慢しなさい。それに、髪が綺麗だと女性は美しく見えるのよ。私も髪の手入れは丁寧にやってるわ」
 女性はさらに続け、手に握るブラシを馬の目の前に掲げた。話しつつ、首を左右に振る。彼女の髪は茶のかった赤色をしており、この国ではあまり見ることのない珍しい色をしていた。その髪を頭の高い位置で一本に結わえており、それでも長さは胴の半ば辺りまである。毛先は彼女の動きに合わせて空気を含み広がった。
 アークはしばしその様子を眺めていたが、馬がなおも反発しそうであるのを見てとってこのままではきりがないと判断する。
「あの、手伝いましょうか」
「えっ、あ……こんにちは」
 挨拶もそこそこにアークが声をかけると、女性は少し浮き上がるような素振りを見せて振り返った。その目は驚きに見開かれ、馬に話しかけられているところを見られたことを恥ずかしく感じたのか、すぐさま顔を赤く変える。
「す、すみません、勝手に馬を入れてこんなことしちゃって」
 アークは女性に近づき、足元に置いてあったブラシを拾う。「いえ」と言って笑みを見せると、女性もつられたように表情を崩した。それからアークが手前の馬を、女性が奥のおとなしい馬の毛を梳く。赤の他人であるアークが相手では馬がかえって騒ぐかとも思ったが、人に慣れている馬らしく、足を踏み鳴らしたりすることもなかった。すんなりと蹄の裏も見せてくれる。女性はその様子を、多少複雑そうな表情で見ていた。
 宿に来てすぐ、自分が休むよりも馬のことを気遣う人なんて珍しい。アークは不思議な感慨を覚えていた。馬達からは、普段から労わってもらっていることが見てとれる。普通は宿に泊まって時間が空いたときなどに思い出すか、あるいは宿の使用人に任せっきりだという人もいるのに。名前までつけて話しかけているあたり、彼女は馬を代えのきかない大切な存在だと思っているらしい。馬が高価であるという点を除いても。
「貴方はこの宿の子?」
 平静を取り戻した女性が、馬の毛並みを整えながら問う。
「はい。ここ、僕の叔母が経営している宿で。仕事は僕も手伝ってます」
「偉いわね、まだ若いのに……ここに住んでるの?」
「叔母と二人で。まあお客さんが沢山やってきてきれるので、二人で暮らしてるって感じはしないですけどね」
 アークは破顔したが、女性は目を見開いた。しかしお互い顔を合わせない会話であったために、アークは女性のその反応に気づかない。
「そう、強いのね……」
 半ば独り言のように女性が呟いたところで、二人とも粗方馬の毛を梳き終わった。礼の意味合いか、やっと終わったという開放感か、馬が頭を振る。梳いてやったたてがみが乱れた。
「ありがとう、助かったわ。……えーと」
「アークです」
「アーク君ね。私はソレイユ。しばらくお世話になるわ、よろしくね」
 ソレイユは微笑んで、馬屋の隅に置いてあった袋を両腕に一つずつ拾い上げた。アークは彼女の横を通り過ぎる際にその一つを受け取り、彼女を宿へと先導する。
「ソレイユさんは、カーライルやシュウ、ファスさんユーレカさんのお仲間ですか?」
 アークは首を少し後方へと回して、先ほどから気になっていたことを口にした。
「仲間……うん、そう。何て言えばいいのか、仕事仲間かな。私たち四人はカーライルの助手なの」
 助手? アークは目だけで疑問を示した。カーライルは何年も前から断続的に宿を訪れてくれる顔馴染みであり、常連客ではあったが、職業について聞いたことはなかった。いつも一人で宿泊していたので、一体何をやっているのだろうと不思議に思うことはあったのだが。
 ソレイユがそれに答えようとしたところで宿の入り口に辿りついた。アークは扉を開けて肩で押さえつける。ソレイユが礼を言って先にくぐった。それに気づいた、先客の四人が会話を中断する。
「ソレイユ、久しぶりですー」
「ああ、久しぶりに見たな。当然元気だったんだろ?」
「馬を見てくれてありがとう、さあ君も座って」
 ソレイユも嬉しそうに、彼らの座るテーブルに加わった。カーライル、シュウ、ファス、ユーレカ、ソレイユ、五人が集まって何ら不自然なことなく場は流れていく。それが例えアークが全く知らない人たちであったとしても、こうやって人々が「鈴蘭の音色」で談笑してくれることは心温まることだった。



 第三章、了


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