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 自身も夕食をとった後、アークは三階の自室へと上がった。部屋に入り真っ直ぐに机へと向かい、引き出しからペーパーナイフを取り出す。握る部分に蔦模様の装飾が施された、小さなものである。アークは右手にペーパーナイフ、左手にリアナ宛ての手紙を持ちベッドに座った。ナイフの切っ先を手紙の端に丁寧に入れ、静かに封を切る。中には厚手の紙が一枚入っていた。それを取り出して目の前に掲げる。
 その紙には水彩で絵が表されていた。一度水気を含んだためか紙の両端は少し弧を描いていて、この絵が手紙の差出人の作であることが分かる。坂を下から見上げた構図で、その後ろには橙色の夕陽が広がっていた。散らばる雲の輪郭はぼやけ、影さえも柔らかく地に注がれている。その坂の中途に一人の少年の姿がある。焦げ茶色の髪に、軽い服装をしていた。その少年は坂を上る途中で振り返った様子だったが、顔は小さく表情は読み取れない。しかし頬を上気させ、嬉しそうに顔を綻ばせているのだろうとアークは簡単に想像できた。
 夕暮れ時の散歩の、目に染み渡るような景色の美しさ、傍らを通り過ぎていく空気の清々しさ、少年の視線の先の人物への信頼の温かさ、それらを全て圧縮して詰め込んだかのような絵だった。特別上手く描かれているだとか、特殊な技巧が用いられているわけではない。けれど見ている者の心をほぐすような、柔らかい気持ちにさせる絵で、このまま封筒に閉まっておくのは勿体ないと感じた。小さな額に入れれば一階に飾れるのではないかと思いつき、ティアナに提案してみようと決める。
 そこで何気なく紙を裏返し、数行に渡る文章を見つけた。文面は礼儀正しく、絵から思い浮かぶ人柄通りの人物のようだった。アークはそのまま読み進め、思いもかけない言葉に出くわした。

 リアナさんの仰っていたことに関しては、ご推測なさっているとおりだと思います。いつかリアナさんとアーク君と、四人で話をしてみたいものです。まずは、アーク君が学校に通い始める時期にでも話してあげればよいのではないかと思います。きっと今は、可愛くて仕方のない年頃でしょうね。

 それから丁寧な別れの挨拶があり、手紙の書かれた日付と差出人の名で締めくくられていた。その名に思い当たるところはなく、さらに日付に至っては十四年前のものだった。この手紙が長年の間に破棄されていたのではなく、あくまで「紛失」されていて見つかったことの方が驚きである。
 アークは食い入るように手紙を見つめた。本文の内容がぐるぐると頭の中を巡る。一度目を閉じて、唇の隙間からゆっくりと息を吐く。
 まさか、リアナ宛ての手紙の中に自分の名を発見するとは思わなかった。いや、彼女ならば何かの機会に人に話していても不思議はないかもしれない。しかし「リアナさんの仰っていたこと」、僕が学校に行くくらいの年、七歳くらいで聞く予定だったことは何だったのだろう。もし、もしそれが、僕の周りに現れる文字のことであったならば──
「……今となっては何も分からないか」
 アークはその黒髪をかき上げた。手紙の中のリアナという言葉をやや恨めしげに眺めて、手紙を封筒に戻す。改めて封筒を見ると、消印はナクレとなっていた。この国の首都である。この手紙も名も知らない国から届いたものかと思っていたが、予想が外れてアークは目を丸くする。
「ナクレ……意外と近いんだ……」
 アークは呟いて、手だけを伸ばして封筒とペーパーナイフを机に置く。それから布団の中に身を沈めた。天井の木目の溝をなぞり、天井と壁の境目までたどり着いたところで目を閉じる。
 リアナの顔を思い出そうとしてみた。顔どころか声さえも、その輪郭の端を掴むことができなかった。


 その後数日間は、これと言って騒がれるような出来事もなく、アークは穏やかな日々を過ごした。せいぜい隣国テセルキィアへと向かう客が何人か旅立ち、入れ替わりに新たな客がやってきた程度である。
 ファスとシュウは滞在三日目から、体が鈍ると言って宿の裏で手合わせを始めた。シュウはあの長い槍ミリタリーフォークで、ファスは重そうな大刀でである。さらにファスは刀身から鞘を外さないままだったので、シュウはせめてそれを取り除かせようと躍起になっていた。
「てめっ、ファス! いい加減に鞘外せ! ……っと!?」
「お前には早い、まだ」
 剣を取り落とさせようとファスの隙を狙うシュウだが、ファスはなかなか隙を見せない。ミリタリーフォークの刃や柄を軽くいなしていく。鮮やかな剣捌きだった。
「アーク君は、シュウがファスの鞘を取れると思うですか? 私は無理な方に賭けたんですけど」
 宿の裏手にある馬屋の柱にもたれかかり、ユーレカは楽しそうに笑う。
「えー……えっと、じゃあ、外せる方で」
 アークの返事にユーレカはさらに声を立て、アークも笑った。
 ファス、ユーレカ、シュウの三人はよく一階にいたので、アークはよく彼らと話をした。シュウとユーレカはもともと気さくな性格だったし、ファスも話しかければ言葉を探りつつ答えてくれるようになった。彼らは色々な国に行ったことがあるようで、旅人の例に漏れず様々な経験をしており、その話を聞くのも面白かった。



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