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第七章



 フィリア国を南北に分けるように伸びる街道は、薄暗い雲の隙間から覗く光に照らされていた。この一本の道は雑草を取り除き土を固めて整備されたものであり、逸れずにただひたすらに進めば首都ナクレまでたどり着ける。
 街道では徒歩や馬で進む旅人たちのほか、行商人の積み荷や客を乗せた馬車がまばらに行き交い、時おりすれ違う。風の吹きすさぶ音の中に馬の蹄や馬車の車輪が回る音が散っている。
 首都に向かう旅人たちの一組に、アーク、カーライル、ファス、シュウ、ソレイユ、ユーレカの一行がいた。
 人間六人に対し、馬は三頭。アークとカーライル、ソレイユの馬である。人間が乗って行くには馬の数が足りない。そのため彼らは三頭の馬に荷物を運ばせ、手綱を引いて歩いて進んでいた。
 食事と休憩以外の時間歩き続けるというのは、慣れていない者には辛いことだった。慣れている者にとっても決して楽なことではない。
 道の先頭を行くカーライルは強硬な日程を組んではいない。むしろ旅慣れないアークを慮って、ゆったりとした日程を考えてくれていた。しかしそれでも、アークは自分が旅というものを甘く見ていたことにため息を吐かずにはいられなかった。宿で旅人を見送る側であったときには知りえなかったことだ。
 足は棒のようになってふくらはぎが張ってくるし、これ以上足の裏を地面につけたくなくなってくる。しかし歩かないことには目的地は一向に近くならない。日が沈み始める頃、カーライルがこの辺りで野営をしようと言い出したときには随分とほっとしたものだ。

 一日目に野営をしたのは、街道からさほど離れていないところにある林の入り口である。奥に進めばムーア谷の近くの森のように木が多く日光があまり入らないような環境になるのだろうが、街道に近いここはそれほどでもない。休みやすい場所なのか、前にも誰かが一晩過ごした跡があった。
 馬にくくりつけていた荷物を降ろし、野営の準備に入る。ファスとシュウが荷物から大きな布を取り出し、その四隅をさっと木の枝に結びつけた。突然の雨に備えた簡易の屋根である。自分は何をすべきかとアークが辺りを見回していると、ソレイユがアークを手招いた。
「アーク君、焚き火用の枯れ枝を探すのを手伝ってもらえる?」
「はい」
 アークはソレイユについて林の奥へと向かった。幸い、枝はまばらに地面に落ちていて、そう遠くまで行かずとも集めることができた。細い灰色の枝が点々と落ちている。拾ってみて十分に乾燥していることを確認する。ここ数日雨が降ったりはしていないらしい。様々な長さや太さの枝を両腕で抱えて、二人は野営地に戻った。
「ソレイユさん」
「なあに?」
「準備って、いつも何してるんですか?」
「そうね、木があるときは布を張って、焚き火用の枝を集めて……川が近ければ水を汲みに行って水浴び、かしら。今回は基本的に街道沿いを進む旅だけど、そうじゃないときは食料を調達することもあるわ。──それで、夕食を作って食べた後に皆で次の日の予定を確認して、夜中は交代で見張りね」
「見張り」
「ええ、念のためにね。明け方にはつけないから、一晩に二人くらいよ」
 なるほど、とアークは頷く。
 首都へと続く整備された一本道を進む旅であるとは言っても、やはり用心は必要だろう。そのために見張りを決めて、他の者が眠っている間襲撃してくる人間や動物がいないか警戒するのだ。安全性や快適さを考慮すると宿で休むのが一番だとは言え、一日のうちに宿までたどり着けなかったり、宿泊費用を節約したい場合もある。見張りを担当する者の休養の時間は減ってしまうが、それでも警戒せざるを得ないとアークも聞いたことがあった。
 そうして二人で話しているうちに、野営地へと戻ってきた。ソレイユとアークは地面に枝を下ろし、張った布の屋根の真下を避けて枝を組む。ソレイユは荷物から火打ち石を取り出し、枯れ草を火種に慣れた手つきで火を起こした。細い煙がゆらりと空へと立ち上っていく。
 その火を使って夕食を作る。火を点けたそのままの流れでソレイユが「じゃあ今日は私が作るわ」と言い出したのだが、間髪入れず、アーク以外の四人が一斉に反対の声をあげた。
「いやソレイユは枝を運んできてくれただろう、休んでいて大丈夫だよ」
「レカたちで作るですよ」
「お前はもうちょっと自覚してくれ」
 ファスまでもが無言で頷いている。
「なっ何よ、私だってやればきっと……!」
 眉尻を上げたソレイユの赤い髪を、ユーレカが子どもをあやすように撫でる。身長さがあるためにユーレカは腕を上に伸ばしていた。ソレイユはそれを見下ろして何か言いかけ、ぐっと口を噤む。そのあとは少し屈んで頭を撫でられるに任せていた。
 アークはファスやシュウの方に寄っていった。
「ソレイユさんってそんなに料理下手、なんですか?」
 小声で尋ねる。すると即座に、ファスが苦い顔で首を縦に振った。破顔したところを見たことがない、普段からあまり表情の変化のないファスだが、出会ってから日数を重ねるうちに細かい機敏が読み取れるようになってきた。
「調味料を間違えるって程度じゃあないな、あれは」
 シュウが身を屈めて付け加える。三人が思わずソレイユの方にちらりと目線を遣ると、
「……シュウ、アーク君に何か言ったの?」
「いいえ何も」
 棒読みかつ即答。そんなやりとりに苦笑しながら、アークは夕食の準備を手伝うためにユーレカたちの元へと赴いた。ユーレカは荷物から鍋を取り出し、中に水を注いでいた。
「手伝います」
「ありがとうです」
 ユーレカが微笑む。アークは水を注ぎ終えた鍋を受け取り、火にくべた。宿の釜とは違って台が安定しないので慎重に置く。水が煮立ってきたら、乾燥した野菜や肉を入れ、調味料で味付けをしたスープを作る。そのスープとパンが夕食だ。パンは好みにもよるが、大抵スープに浸しながら食べる。堅く焼かれ、作られてから日数も経過してしまったパンは、そのまま食べるにはぼそぼそとして食べにくいのだ。これらの材料は、すべてムーアの村で購入してきたものだった。旅の途中で狩りや採集をしていては首都に辿りつくのが遅くなってしまうため、今回の旅では街道沿いの宿や店で、日持ちのする食料を調達しながら進む。
 スープの味付けはアークが担当した。食料の中にコルヴィという橙色の野菜を輪切りにし乾燥させたものがあったので、それを多めにばらばらと放り込んだ。コルヴィは水分の多い野菜で加熱すると独特の甘みが出る。赤みがった橙色をしていてスープにするととても見目が良い。そこに豆や細かく切った乾燥野菜など、歯ごたえの異なるものを具として入れた。出来うる限り弱火で煮込み、胡椒と塩で味を調える。
 このスープは皆に好評で、その流れで、野営をするときは主にアークが料理を担当することとなった。元々「鈴蘭の音色」ではもっと大人数のために食事を作っていたし、料理は好きだったので文句があるどころか歓迎することだった。カーライルたちは喜びながら食べてくれるので作りがいがある。
 焚き火を囲んでの夕食とその後片付けを終え、進行状況と明日の予定を確認した。カーライルが地図を見ながら説明したところによると、首都までは十日間の道のりを想定しており、順調に行けばあと九日で到着できるらしい。二日目も引き続き歩いて移動し、カーライルたちがいつも利用するという野営地に着き次第、そこで休むという話がなされる。そこで一日目の活動は終わった。
 夜、就寝している間に辺りを警戒する見張りを誰がやるかという話になり、アークが名乗りをあげたもののカーライルに却下された。慣れない長距離の移動で確実に疲れているはずだからと言う。全くの正論に反論の余地がなく、押し黙るしかない。
「そのうちやってもらうことになると思うよ」
 カーライルが柔らかく言うので、
「……分かった」
 アークはおとなしく毛布に包まった。
 家や宿のように布団なんてものはないため、厚手の毛布を縦に半分に折り、その間に体を滑り込ませる。文字通り包まる形だ。
「それじゃあ、おやすみ」
「お休み」
「おやすみなさい」
 他の四人も挨拶を交し合い横になった。パチパチと小さく爆ぜる焚き火の向こうに、木に背中を預けているカーライルが見える。初日の夜はカーライルが見張りをすることになったのだ。ここから夜の三分の一ほどが更けるまで起きていて、そのあと次の見張りのファスと交代するらしい。
「…………、」
 アークは毛布の中でゆっくりと息を吸い、吐く。自分と地面を隔てるものが毛布一枚しかない状態では、体の下がひどく固く感じられた。明日の朝目が覚めたときには体が痛いかもしれない。
 仰向けになったまま天を見た。アークの寝転んだ位置はちょうど足が布の屋根の下に入り頭が出る場所だったので空が見えた。空を薄く覆う雲に透けて星が瞬いている。
 宿の自室とは、体の下の固さが、開いた両目の先に映る景色が、頬を撫ぜる空気が、違う。
 旅に出ているのだ、と実感した。
 首都に行くために。首都にある図書館に行き、望む情報を手に入れるために。
 期待で胸がはねるのを抑えられなかった。その期待の裏にある不安が、どれだけ大きいかを自覚してはいても。
 アークは再び深く呼吸をし、毛布の中で体の向きを変えた。焚き火に背を向ける形になる。そうして暗闇を見つめながらもっと色々なことに考えを巡らそうとしたものの、疲れている心身がそれを許さなかった。瞼がゆっくりと降りてくる。自分でも驚くほどすぐにアークは深い眠りへと落ちていった。
 フィリア国の北ムーアの谷から首都ナクレまではおよそ十日ほどで着くだろうという予想がなされている。その初日は、旅の全体で見れば小さな一歩目ではあったけれど、アークにとっては密度の濃い長い一日だった。
 木々の枝を利用して張られた布の下は、寝入ったアークたちのたてる息と、時折火が立てる音だけで満ちていた。


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