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「本当に長い間、お世話になりました」
 カーライルが深々と頭を下げた。カーライル一行の宿泊代を受けとったティアナは、営業用ではない、心からの笑みを浮かべる。
「アークのこと、よろしくお願いします」
 ティアナもカーライルに返すようにして腰を折る。
 余談だが、カーライルたちの宿泊の経費は、多少の割引はあったものの、カーライルによってぽんと支払われた。アークが森で口にした「シュウたちの宿泊費はただで良い」という話は、予想以上の滞在期間の長さによる膨大な宿泊費のおかげで、カーライルが丁重に辞退する形となった。アークは約束通りにいかなかったことをしきりに詫びたが、カーライルは笑みを浮かべてみせた。
「その場で持ち合わせがあるかどうかの違いだけだから……どうせ経費で落ちるからね」
 その笑みがどこか黒いものに見えた気がしたのは、きっとアークの勘違いだろう。
 宿の前にはカーライルとティアナが乗ってきた二頭の馬と、「鈴蘭の音色」で飼っていた馬、トラストが並んでいる。国境に近いここから首都までの旅に必要な荷物は、袋に入れて馬に運んでもらう。
 袋を馬たちにくくりつけたシュウが、「ホロスコープたちも早く迎えに行ってやらなくちゃな!」と朗らかに言う。何のことか分からずアークがシュウの方を見遣ると、「レカたちの馬はムーアに着く前に預けてきてるですよ」ユーレカが解説してくれた。
 食料は保存の効くものを先日村で買い足し、荷物は袋にまとめられた。準備は万端だ。空は快晴だが日差しはまだ強くはなく、絶好の出発日和である。
 ティアナはアークに向き合う。アークは普段の軽装の上に、寒暖の調節ができるよう一枚外套を重ねただけの緩い格好だった。ティアナが普段意識することはなかったがいつの間にか背も伸びて、その姿は彼の父親、イクセヴェルによく似ていた。
「……よく考えたら、あんたはリアナとイクス義兄さんの子だものね。ずっと家にいるはずがなかったわ」
 ふうと息を吐くティアナを、アークは驚きをもって見つめる。
「父さんと母さんが? 旅好きだったの?」
「そうよ。旅というか冒険というか……。いきなり『じゃあティアナ、行ってくるから!』って言ったかと思ったら二人して瞬く間に消えて、で急に帰って来たら来たで、どこのよそれっていう感じの特産品抱えてるし。そこでできた友人かららしいけど、世界中から手紙が来るし……」
 お土産は嬉しいんだけどね、とティアナは言う。
「それで十五年前、いつもと変わらぬ様子で旅に出て、そのままよ」
 一息に片付けるようにティアナは述べた。アークが両親のことをこんなにティアナの口から聞いたのは初めてだった。何となく、ティアナが語りたがっていないように、深く触れてはいけないように感じていたのだ。
「……やっと言えたわ。長い間気持ちの整理をつけられなくて、その後は言うきっかけを掴めなかったのよ。あんたも聞いてこないから、更にそれに甘えちゃって」
 ティアナが静かに言う。
「僕の親は、ティアナ姉さんみたいなものだから」
 アークも自然に、普段なら恥ずかしさで口にできなさそうな言葉を返す。アークが穏やかにそう言ったものの、ティアナは照れてしまったようだ。慌てたように視線をさ迷わせ、咳ばらいをする。
「……とにかく! 何なら一年位帰ってこなくてもいいわよ!」
「一年? そんな大袈裟な」
 腰に手をあてたティアナの言葉を、アークは冗談と受け止めて苦笑する。しかし彼女は本気なようだった。
「何言ってるのよ、せっかく旅に出るっていうのに。色んなものを見て回らなきゃ損じゃない。……ただし、手紙を寄越すこと。一月ごとに、あたし宛てにね」
 リアナ宛てに届いた手紙を、本人の代わりに読むという行為を、ティアナはあまり好んではいなかった。アークはその手紙から母を伺えるような気がして、手紙を読むことを楽しんでもいたため、いつしかそれはアークの仕事になった。
「……うん。分かった」
 そんなことを思い返しながら、アークは頷く。
 ティアナは満足げに一息吐いて、改めてアークを見つめた。彼はもう宿の手伝いをするだけの子どもではない。昔から大人びたところはあったが、自分の道は自分で選んでいくべき年齢である。あまりにも自然に、昔から宿の仕事をひたすらに手伝ってくれていたから、失念していたけれど。
 カーライルが準備の整った一行を見渡して、アークに声をかける。
「それじゃあアーク、そろそろ行こうか」
「うん……じゃあ、姉さん」
 背負う荷物を地面から拾い上げたアークの頭が上がりきる前に、ティアナは彼の頭に手を置いた。
「太陽の加護を背中に受けられますように」
「……、月の揺り篭に背を向ける時まで」
 それから目を合わさないまま、アークはカーライルたち五人に加わり、ティアナは宿の前に残った。
 カーライルとソレイユが一頭ずつ馬の手綱を引き、先駆けとしんがりを務める。その間にシュウ、アーク、ユーレカ、ファスが入る。ムーア近辺の街道はそれほど狭くないため厳格に一列になる必要はないが、旅立ちの引き締まった空気の中、自然とそのような並びになったようだ。
 街道はしばらくの間一本道として続いている。村に買い出しに行く際に通る、慣れた道であるはずなのに新鮮に感じられる。
 アークはゆっくりと振り返り、「鈴蘭の音色」の前に未だティアナが立っているのを見つける。彼女の姿はだんだんと小さくなり、木造の宿に溶け込んでいく。彼女がしっかりとこちらを見てくれている気がして、アークはすうと息を取り込んだ。
「行ってきます!」
 腹に力を入れて思いっきり出した声は、ティアナに届いただろうか。目を凝らすと、彼女が高く手を振っていた。
 傍らでシュウやユーレカが楽しげに笑う。アークもそれに笑い返して、正面に向き直った。
 優しい風が街道を吹き抜けていく。その風は一本道を進む旅人たちの髪を、順々に掬いあげていった。


 第六章、了


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