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三題噺:すりきず 車輪 ミサ



 昔からけがをしてばかりの子どもだった。どこかにぶつけたり転んだり、何度も青タンやすりきずを作ってはそのうえに消毒液をかけ、かさぶたがとれるまえにまたきずを作るということを繰りかえしていた。
 痛い記憶、嫌な記憶というものは大抵心の引き出しの奥にしまいこまれるものだけれど、一つ、この歳になった今でも覚えていることがある。
 今日はその話をしようと思う。
 僕自身は何歳のときであったか覚えていないけれど、親に付き添われながら自転車の練習をしたという経験は、ほとんど誰でも持っているものだろう。押さえててね、絶対だよ、と念を押してペダルを踏み、振り返ると後ろには誰もいないという、人生ではじめての裏切りを体験することになるあれだ。あの頃の僕はそのステップを卒業したばかりだった。補助輪というおまけが取り払われた自転車は、たった二つの車輪だけで機能する、まるでこれからの生活を象徴するもののように見えた。いや、そんな高尚なことを幼い僕が考えていたとは到底思えないけれど、ひたすらに誇らしかったことは覚えている。
 それで僕は、兎にも角にも立派な姿のその自転車に身を預けて、遠出をしようと思い立ったのだ。ペットボトルに注いだ麦茶をカゴに、お気に入りの帽子を頭に。気分は絵本の主人公だった。
 端的に言うと、僕の冒険はそううまくはいかなかった。近所に住む三つ年上の男の子のように自転車を乗り回し、夕陽を背中に浴びながら泥だらけで帰ってくるというのが僕の理想だったのだけれど、世の中そう簡単にはいかないらしい。いつも母と遊びに行っていた公園に辿りついたところまでは良かったのだ。しかしそこで物足りなさを覚えた僕は、さんかく公園の遥か向こう、八代坂を越えることを考えたのである。
 大人が徒歩で挑んでも顔をしかめずにはいられないその坂を、自転車で上ろうとするのは無理だった。無謀ともいう。そういうわけで僕の自転車は横転し、聞くも無残な悲鳴をあげた。僕はざらついたコンクリートの上に投げ出された。上半身を起こし、ぴかぴかだった自転車がだいぶ下の方に横たわっているのを見た。ペットボトルは更に転がっていってしまっていた。それからむき出しの膝を見ようとしたものの、視界が揺らいでよく分からなかった。一生懸命描いた絵を、喧嘩中の友達に思い切り丸められたときの気分だった。
「大丈夫、ぼく」
 そのとき頭上から声が降ってきた。正確にはしばらく経ったあとだったかもしれない。僕にとっては直後だった。
 その女の人は少し屈みこんで僕を見ていた。頭に厚手の黒い布を被っていて、その奥で穏やかな笑みを浮かべていた。幼稚園の先生とも母親とも異なる様相に僕は一瞬痛みを忘れた。
「痛い?」
 尋ねられた途端、痛みが帰ってくる。滲んだ視界のまま首を横に振ると、彼女は優しい笑みを深めた。
「じゃあ私が、痛みが逃げていくおまじないをかけてあげましょう。それからぼくのおうちに一緒に帰る。どう?」
 知らない人の言うことを聞いてはいけないという母の言いつけを、こんなときに限って思い出した。それでも痛みがなくなるという提案は魅力的だった。僕は頷く。
「それじゃあ」
 彼女は地面に膝をつき、僕の足に手をかざした。それから静かに唇を開く。そこから零れ出てきたのは歌だった。小鳥のように高く、水のように澄んでいる歌声だった。歌詞は聞き取れず、どこか外国のものであるようだったけれど、そのときの僕にはまさしくそれはおまじないの詔に聞こえた。
「はい、これで痛みは逃げていくわ」
 そのあと彼女に連れられて、僕は家へと戻ることができた。途中でさんかく公園に寄って、水道で傷口の砂を洗い流した。その間もずっと彼女は僕に優しい言葉をかけ続け、それから自転車を丁重に扱ってくれた。
 玄関の表札の前で、また会えるかと尋ねた僕に彼女は微笑んだ。
「お母さんにミサと言えば分かると思うわ」
 そう言い残して彼女は去っていった。僕は彼女の背中をしばらく見つめていた。彼女のゆったりとした、白黒の衣服はやがて景色に紛れて消えていった。
 家に帰った僕を見て母は慌てた。少し見ないと思っていた息子が、膝に傷をこしらえて帰ってきたからだろう。あの頃の僕にとってけがは日常茶飯事だったけれど、母はその度に大げさなほど慌てていた。
 ミサさんが助けてくれた、と語る僕を母は不思議そうに見つめた。ミサという名の女性に心当たりはなかったようである。しかしそれ以上を語ることのできない僕を前に何かしらの自己解釈をしたのか、「親切な人もいるものね」と呟いていた。
「……まあ、その頃の僕は勘違いをしていたんだけど」
 ハンドルを切って、助手席を見るも返事はなかった。
 僕は昔ほど、けがをしなくなった。きっかけはおそらく修道衣の彼女に出会ったことだろうけれど、小学校、中学校とあがるにつれて思慮深くなることを覚えた。ついでに言うと病気もしない。いたって健康体になったのだ。
 しかしどうやら僕のこのけがの多さは、遺伝するものであったらしい。再び助手席に目を遣る。席に沈みこむようにして座っている小さな存在が、穏やかな寝息をたてている。その腕や足には絆創膏が何枚も貼られている。あまりにも幼い頃の自身を彷彿とさせるその姿に、僕は思わず笑みを零した。
「まあ、僕に似て泣き虫なお前も、彼女の歌を聞けば少しは強くなるかもな」
 僕の言葉は独り言となって、坂の下へと流れていく。僕と息子を乗せた車は八代坂を登りきり、教会へと辿りつこうとしていた。


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