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Twitterの #フォロワーさんに自分のイメージもらって自分を殺人鬼化する というタグでいただいたイメージを元につくった殺人鬼を書いてみたものです。


霧坂一果の緩慢な休日



 霧坂(きりさか)一果(いちか)の朝は遅い。休日は言わずもがな、平日も通勤通学のために目を擦る一般人などお構いなしに惰眠を貪っている。そうして太陽が南中しようかと言う頃にようやくずるりと布団から這い出て、のろのろとシャワーを浴びに行くのが通例である。高らかに朝を告げる鶏の声どころか雀のさえずりさえろくに聞くことがない。
 そのような堕落しきった生活を霧坂が許されているのは──あくせく働く世の人のために弁解しておくと、決して誰かが許したわけではないが──彼女が、花屋を営む初老の女性の元に居候をしているためだ。学校にも行かない、働かない、決まった住まいがない、ないない尽くしのお天道様に顔向けできないような生活を送っている霧坂だったが、女性が自宅の一階に出している花屋を手伝うこと、早くに夫をなくした女性の話し相手になることで居候という立場に落ち着いていた。随分と天秤を無視した厚遇ではあったが。
 布団から抜け出た霧坂は勝手知ったる様子で女性の家でシャワーを浴び、遅い朝食を胃に入れる。それから階段を降り、一階の花屋へと出向く。
 そこで同居人の女性にあいさつを済ませると、女性はあとを霧坂に任せて、習い事だったり友人と出かけに行ったりする。この花屋も趣味の一環として始めたらしいが、想定よりも繁盛したため頻繁に休日をつくるわけにもいかず、霧坂のおかげで好きに出かけられるようになったと喜んでいた。霧坂としては居候させてくれる上に手伝いも楽なものだから特に文句もない。寧ろ店の金を自分に一任してくれるとは、随分と信用されたものだと思う。
 女性の経営する花屋は決して広くはない、こじんまりとしたものだったが、案外客の入りは少なくない。大きな店舗よりかえって訪れやすいのか、小さな子どもや若い女性、杖をついたお年寄りまで幅広い年代の客が来る。
 髪を下ろしたままの普段着にエプロンを重ねただけの緩い格好で、霧坂はその客たちを迎える。意外かもしれないが、その接客態度は一般的なそれである。いわゆる営業スマイルというやつも標準装備している。起きて部屋を出れば、笑顔で接するし話しかけられれば自分に出来うる限り朗らかに答える。おかげで馴染みの客とは、世間話、商品に関する話以外のことも話すようになった。
「霧坂さん、知ってる? 最近このあたりで殺人事件が起きてるって話……」
 始めにその話題を持ちかけてきたのは、よくこの店に仏花を買いに来る女性だった。二人の子どもがいる主婦である。
「……殺人事件、ですか?」
「そうなの、子ども達の小学校からもね、最近危ないからって連絡が来て、今送り迎えを車でしてるのよ」
「それはそれは」
 大変ですねえ、と言いながら花を新聞紙で包んで女性に手渡す。
「そうなのよ。何か変な事件らしくってね、毎回毎回、現場近くに花が落ちてるんですって。アスファルトの上に一輪だけ薔薇があったりするのよ、変でしょう」
「ええ」
「それで、快楽殺人じゃないかって警察は疑ってるらしいわ……怖いわよね」
 お釣りを手渡しながら、気をつけてくださいね、と女性に告げる。貴方もね、ぼうっとしてそうだから気をつけるのよ。世間の情勢に疎い霧坂に念を押すようにして女性は帰っていった。
 霧坂はほうと息を吐く。こういった雑談と少しの仕事をこなすと、次の客が来るまで暇になる。それまで霧坂は二階から持ち出した分厚い本を膝に乗せて椅子に座っていることになる。読書に集中し続けて客に気づかない事態があっては困るので、開く際はぱらぱらと読み流すように読む。あるいはページは全く開かれず、その重みは押し花を作るためだけに生かされていることもある。
 その日はそれ以降、特に馴染みの客は来なかった。贈り物用に花束を注文しに来た老人と、告白にでも使うつもりだったのだろうか、妙に気恥ずかしそうにやってきた少年くらいである。もうこれ以上客は訪れないと見込み、十七時にあわせて店じまいを始める。
 店の持ち主である女性は、今日は旧友たちと食事をしてくるから帰りが遅くなると言っていた。さてこれからどうしようかと、店先の植木鉢を屋内に入れながら考える。冷蔵庫に作り置きの料理はもうなかったと思ったし、夕食を作るのも面倒だった。思考を波立たせながら店のシャッターに手をかけたところ、
「待ってください!」
 慌てたような高い声とともに、セーラー服姿の少女が走り寄ってきた。少女は霧坂の手前で立ち止まると、荒い息を吐いて呼吸を整える。初めて見る少女だった。少なくとも常連客の一人ではない。特にいじっていなさそうに見える黒髪に、校則をきちんと守っているように見受けられる、膝丈スカートのセーラー服が映えていた。
「あの、すみません……一本でいいので、売ってくれませんか」
 その言葉に霧坂は少女を店内に案内した。急いでいるのか、さっと購入する一本を決めて、ぱたぱたと駆けるように去っていってしまった。それでもきちんと腰を折ってお礼を言っていくのは忘れなかった。礼儀正しい少女だ。
 少女を見送って、今度こそ霧坂はシャッターを下ろす。しばらく逡巡した後、必要な荷物をすべて鞄に詰めて、霧坂は店を出た。
 時間など気にしていないようなゆったりした歩調で駅前に向かい、二十四時間営業しているファミレスに入った。窓際の席に座り、普段頼むものと同じようなメニューを注文する。料理が届くまで、霧坂は頬杖を突いて窓の外を眺めた。
 駅前は帰路を急ぐ人で賑わっていた。お店も飲食店に始まりさまざまなものがまだ営業しているので、この辺りは夜遅くでも明るい。これが少し住宅街方面に向かうと、地元民には「湖」と呼ばれている大きな池のある公園があり、それを越えると明かりも少なくなってくる。
 料理が届き、霧坂は無言でそれを咀嚼する。いわゆる一般的と言われる早さよりもだいぶ食べるのが遅いので、無理に滞在時間を引き延ばさずともなかなか長い間ファミレスに居座ることとなった。米の一粒も残さずに完食し、両手を合わせて夕食を終えた。自分で食事を作るのは面倒がるわりにそういう習慣にはこだわるタイプである。
 会計を終えて(ちなみに霧坂は現在無職であるものの、貯金通帳には多少のお金が入っている。あくまで多少、だが)ファミレスを退散し、駅前の明るさを背中に浴びながら帰り道を歩いていく。少しずつ街頭の間隔が広くなり歩行者も少なくなっていくが、車通りが多いためまだ暗くはない。
 霧坂さん、知ってる? 最近このあたりで殺人事件が起きてるって話……。
 昼間の女性の言葉が思い出される。が、特に怯えた様子も見せず、昼間と同じような悠々さとともに進む。コンビニの前を通りかかったときに丁度自動ドアが開き、
「あっ」
 出てきた人影が霧坂を捉えて声をあげた。そちらに顔を向けると、人影はこちらへと駆け寄ってきた。
「花屋さん!」
 微かに頬を上気させながら見上げてくるのは、閉店間際に滑り込むようにして花を一輪買っていった少女だった。帰宅後着替えたのだろう、今はセーラー服姿ではない。下はジーンズに、春物の薄いコートを羽織っていた。
 少女の家と霧坂の居候する店の方向は同じらしい。当然の流れのように二人は帰り道を共にすることとなった。少女は霧坂の横に並ぶようにして、夕方のお礼を改めて述べた。
「今日はお母さんの誕生日だったんです。でも、お花は学校終わってからじゃないと買いに行けなくって、なのに委員会が長引いちゃって……」
 少女は母親に毎年一輪の花を贈っていることや、今年も母が喜んでくれたことなどを嬉しそうに語った。母親の誕生日に花を贈るという少女に、霧坂は素直に好感を覚えた。可愛いなあ、と和みつつ、ほぼ初対面の相手にそんなことを言っては引かれそうなので止めておく。
 少女の言葉に相槌を打っているうちに、信号を渡り終えて公園の入り口へと差し掛かる。この辺りまで来ると車通りも人通りもかなり少なくなってくる。今しがた通った車道を、首だけを回して垣間見た。渡った信号は赤になったが、それが変わるのを待ち構えている車はない。
「……あ」
 そこで霧坂の唇の隙間から、零れ落ちるように声が漏れた。少女が不思議そうに霧坂を見上げる。そんな少女に、霧坂は口角を上げて笑んでみせた。少女もつられるようにして笑う。
 そして霧坂は、少女のコートの袖口を掴むようにして、少女をぐいと引き寄せた。勢いに引っ張られた少女の体が霧坂に向かって倒れこむ。その分の体重がこちらにかかる。少女の瞳に浮かんだ驚きの色が霧坂のコートに埋もれる。それが消えぬうちに、袖に隠し持っていた細い針のような、刃物のようなそれで、霧坂は少女の首を掻き切った。視界が赤く揺らめく。
 かはっ、と少女の体のどこかから、何かが押し出された音がする。
「──、」
 声にならない声が霧坂の鼓膜を揺らした。焦点の定まらない両目でこちらを見られる。その瞳に籠もる感情を読み取れこそするものの特に心は動じない。
 全身の力を抜いた──抜かざるを得なくなった少女はやがてぐったりとして、まるで霧坂にすべてを預けているように見えた。先ほど引いた腕の下に自身の体を入れて、少女の体を支える。そのまま引きずるように、具合の悪い少女を助けているかのような図で公園の中に入っていく。
 そのあとの霧坂の行動は手馴れた体だった。公園の茂みの裏に少女の体を滑り込ませ、その向こうの池に向かって針を放り投げた。針は放物線を描いて飛んでいき、他に人のいない公園に着水する音を響かせた。
 静かに周囲を見渡し、鞄の中に手を入れる。薄いハンカチで手を覆うようにすると、鞄の中に入っていた透明の包装から花を引き抜く。ピンク色のガーベラだった。ややしおれかけてはいるものの、どうせ人の目に触れるのがしばらくあとになるのだからと、そのまま手のひらを返すようにして石畳の上に落とす。中身のなくなった包装はリボンをつけたまま、それもまた池へと放り込んだ。
 長時間滞在することはせず、霧坂は何事もなかったかのように店へ向かって歩き出す。後ろに残っているのは茂みの裏の哀れな亡骸と、石畳の上の一輪の花だけだ。
 どうして、と後方から声が聞こえた気がした。本当にする訳はないのでおそらく幻聴である。
 声に出して返事をするような真似はしない。霧坂はただ舌の上で言葉を転がす。
 強いて言うならそれは、興味を持った、好感を覚えたという、ただそれだけの理由だった。他人に興味を持ったとき、霧坂においてその興味は「ああ、この人なら殺せそうだなあ」という、そんな類の感情に変わるという、それだけの話だった。
 人を殺すのは別に心の痛むことではなかった。寧ろ一切動じない自分に逆に驚きそうになるほどである。
 霧坂にとってそれは別に食べる、寝る、呼吸をするといった、日常生活で為すべき行動と何ら変わらない、同列のものですらあった。
 なぜ人を殺してはいけないのか、と霧坂は考える。人は植物動物の命を生きるためにいただき、あるいは快楽のために弄ぶのに、なぜ同族の命はあたかも高尚な何かのように扱われているのだろうと。
 多少世の中と向き合える年齢になった頃、霧坂は自分の中でひとまずこう結論付けた。人は自分が殺されるのが怖いから、暗黙の契約として、他人を殺さないのだ。目には目を、歯には歯を──。つまりはその逆である。他人に手を出さない限り、よっぽどのことがなければ自分は狙われない。
 霧坂は自分がいつ殺されようとも構わない。
 自分が殺した人間が同じ考えを所有していないだろうことは理解していた。そういった人間から見ればこれは単なる「理不尽」であり、「異常」である。
 いっそ自分は人間ではなくて、殺人鬼などという生物なのではないかと考えたことも一度や二度ではない。それではなぜ今だ、鬼の証である角が生えて来ないのだろうか。そろそろ生えて来ても良い頃合ではないのか。
 同じ種族に会えたならば一度詰問してみたかった。詰問してみたら相手も自分を殺そうとしてくれるのではないかとも思った。
 自分と同じ殺人鬼に、自分は必ず興味を抱くだろう。それは確信に近い感情だった。つまりは興味を抱いた人間に──あるいは、「人間」の見た目をした何か別種の存在に、近づこうと思い続けていれば、いつかは(まみ)えることになるだろう。
 息を吐く。吐き出して、苦しくなってついに吸う。肺が空気で満たされる。それは別に普通のことだ。誰が疑問に思うことのない、普通の、当たり前のことだ。
 居候する店の前に辿り着いて、シャッターの下りた一階から二階へと視線をスライドさせる。電気は点いていない。居候させてくれている女性はまだ帰宅していないようだ。
 店の裏口へと向かう。合鍵を鍵穴に差し込んで回しているうちに眠気が背中を這い上がってくる。きっとシャワーを浴びたらすぐさま眠りに落ちて再び惰眠を貪ることになるのだろうと考える。明日からまた平日が始まるがそんなことは霧坂には関係ない。せいぜいが見るテレビ番組が変わるくらいのことだ。
 扉を開けて二階へと向かう。
「ああ、そろそろ、ここも出ようかな……」
 ふっと思いついたようにそう口にする。階段を上り終えて、後ろ手に扉をぱたりと閉めた。そうして霧坂一果は何ら普段と変わらない休日を終え、また同じような日々を迎えるまでの空白の時間に身を埋めるのである。


霧坂一果の緩慢な休日、了


いただいた殺人鬼化イメージ:
湖(に沈める)/たまに怖いこと言う/笑顔で殺る/女性/針とか細かい武器/お花/何時でも何処でも/気に入らないからじゃなくて気に入ったから殺す/殺しの美学を持ってそう/NEET/無邪気/分厚い本/殺すたび特定のものを現場に残す
全部は消化しきれなかった感がありますが大変楽しかったです。ありがとうございました!


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