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インスタントラバーズ * B



 土曜の午後一時過ぎのファストフード店は喧騒に包まれていた。休日の昼食を安く手っ取り早くハンバーガーで済まそうという人は存外多いものだ。レジの前には結構な人数が連なっていて、俺たちはその一番空いている列の後ろについた。
「長谷川、」
 友人が後ろで呼ぶので振り返ると、やつは真剣な目つきでメニューを凝視していた。
「なあ、ラッキーセットって頼んでも大丈夫だと思うか?」
 友人が指差したのは子どもを対象にした、おもちゃのおまけつきのセットだった。おもちゃの内容は一定期間で一新されるが、今は何かのアニメだろうか、キャラクターのマスコットストラップであるらしい。
「さあ……頼んでみれば。店員さんに冷ややかな目で見られる可能性も、なきにしもあらずだけど」
「くっ……」
 自分の意見をそのまま告げると、友人はまるで追い詰められた敵役のような声音で呻いた。それから、けどなあ、あれ欲しいよなあ……などと呟いている。強く止めたりするつもりはないが、運動部で鍛えたがたいの良い男がいたいけな子ども向けのラッキーセットを注文するというのは、なかなか笑える絵だと思う。
「あっじゃあ長谷川、お前が注文してくれよ。金はあとで渡すから」
「俺とお前の何が違うんだよ」  
「いや、絶対店員さんのお姉さんはお前なら喜んで売ってくれる……」
 友人がぶつぶつと言っているうちに、列は短くなって注文の番になった。友人が先に注文を済ませ(ラッキーセットは諦めたようだ)、俺もポテトや飲み物のついたセットを頼む。
「席とってるぞ」
 友人は商品の載ったトレーをもってテーブルの方へと入っていった。
「お待たせしました」
 爽やかな笑顔の店員さんからトレーを受け取る。さて、友人はどこに席をとったのかと辺りを見回す。と、空いているテーブルはあるにも関わらず、立ち止まっている友人を見つけた。近づいて行って何をしているのかと尋ねようとしたとき、友人がこちらに気づいて声をあげた。
「長谷川! 長谷川!」
 店内で大声を出すな、と友人に言おうとしたところで奴がなぜ立ち止まっていたかに気がついた。友人が捉える視線の先、壁際の二人席に、女性が一人座っていた。
「……あ」
 思わず声が零れ出る。
 その同い年くらいに見える彼女は、先日──約二週間前に、俺が「付き合いを申し込み」、そしてすぐに「別れた」女性だった。まさか彼女とまた会うとは、思ってもみなかった。
 友人に、彼女とは別れたという話をするのをすっかり忘れていた。友人とは毎日顔を合わせている訳ではなく、講義が被った日に昼食を一緒にとるといった感じだ。今日はたまたま鉢合わせてファストフードを食べに行くことにしたのだけれど、伝え忘れていたことがこんなところで問題になるとは。
 友人を引き止め、彼女とはもう別れたということを言おうとしたものの、時すでに遅し。奴は彼女に話しかけてしまっていた。
「こんにちは、奇遇だな、俺のこと覚えてる? えっと、長谷川の──」
 友人は朗らかに言いながら、 俺を振り返った。
 彼女は口につけていた飲み物を置いて、じっとこちらを見た。たしかに俺が先日声をかけた女性だ。双子かドッペルゲンガーでない限り、間違いない。杉浦千里。それが彼女の名前だ。まだ覚えていた自分にほっとしながら口を開く。
 しかし彼女の瞳からは、誰だこいつ、という感情がありありと見てとれた。それは友人に向けられているだけでなく、俺に対してもそうであるようだった。
 ……もしかしてもしかしなくとも、忘れられている。
「ええと、奇遇だね?」
 とりあえずは気軽な口調でそう言ってみた。双方黙ったままなのはさすがに怪しいかと思ったからだ。
 しかしそこではたと気づく。ここはもう、彼女に迷惑をかけないよう、他人の振りをした方が良かったのではないか。彼女は二週間前に出会ったこちらのことを忘れているようだし、そうした方が得策だったように思える。
 杉浦千里という名の彼女は、俺が二週間前、駅前で話しかけた女性だ。それまでの面識は一切ない。今改めて考えるに、あれは相当まずい行動だった。何しろ第一声が「三分間だけ、恋人になってくれませんか?」なのだから──本人から鑑みても、性質の悪いナンパか変質者だ。彼女が通報という手段を選ばなくて良かったとしみじみ思う。
 それでも彼女はその提案に乗ってくれ、俺は友人に、簡単に彼女を「付き合っている人」として紹介することができた。その代価がサーティスリーのトリプルアイスっていうのはちょっと安すぎた。
 そう、安すぎたと思うからこそ、俺は再会した彼女に親しげに話しかけたことを後悔した。彼女にとってあの出来事は終わったことだ。代価も得られないのに、茶番劇を続ける意味がない。
 彼女は何度か目をしばたたかせ、やがて口を開いた。
「……昭人。それから昭人の友人の」
 どうやら思い出してくれたらしいが、彼女が俺を下の名前で呼び捨てしてくれたことに、内心ひどく驚いた。
「平間! 平間亮一郎。よろしくな」
 友人が歯を見せながら笑う。
「よろしくね」
 彼女も笑みを返していた。それから食べかけのハンバーガーや飲み物が入ったトレイを少し自分の方に引く。
「もしよければ、昭人も平間さんもこの席にどうぞ」
 私が座ったときには店内が空いていたからここにしたんだけど、混んできたから。
 彼女の視線につられるようにして店内を見渡す。たしかにお昼時の店内は混雑していて、空いているテーブルの数は僅かになっていた。このご時世に相席の風潮などないし、四人席を一人で陣取ってしまった彼女がそう言い出したのは、特に不自然なことではないだろう。
 まあそれも、彼女が俺と本当に恋人同士であった場合にこそ、真実味を帯びてくる推測だけれど。
 ともかく、俺と友人は彼女と同じテーブルにつかせてもらった。俺が彼女と向かい合うようにして壁際に、友人が俺の隣に。
 こうやって誘ってくれたということは、恋人ごっこをこの場では続けてくれる……と解釈して良いのだろうか。いや、この間少し話しただけでもどこか予想の斜め上の返答を寄越してくる彼女のことだから、こちらが思い込んでいるのはよろしくない。
 まあ、こうなってしまった以上、友人に本当のことを話す覚悟も決めるつもりだ。これは友人のためになるわけでもない、自分のエゴなのだから。
 気さくな友人の質問に、彼女は自然に答えていた。とりあえずは彼女の様子を読み取ろうと、飲み物に集中している振りをして彼女を見る。
 服装は落ち着いた色合いのもの。これは席に着く前に見たことだけれど、膝よりも少し長いスカートを履いていた。それから、おそらく染めていないだろう黒髪を(日に焼けているのか、少し明るい)肩甲骨の下くらいまで伸ばしていて、ただそのままに下ろしていた。その髪の奥に覗く顔にはうっすらと化粧がほどこされている。遠くから見たらわからない程度のものだ。視線を伏せたときの目蓋の薄さと、軽く弧を描いている睫毛になぜだかどきりとした。
 整った顔……いわゆる美人、というやつなのだと思う。俺の感性は友人いわく少しずれているようなので、きっと世間一般的にはそうなのだろう。しかしお前はどこか違うと友人に言われる俺でも、彼女のことは綺麗だと思った。それこそ二週間前に彼女に話しかけたときも。
 駅前のベンチに座っていた彼女に声をかけようと決めたのは、本当にただの思いつきだった。駅前でぼんやりと次のJRまでの時間を潰そうとしていたときに、彼女の姿が目に入ったのだ。携帯電話を握り締めているわけでもないし、しきりに時計に目を遣っている風でもない。誰かを待っているようには見えなかった。それで彼女なら、この後の予定があるという理由で断ってくる可能性が低そうだと──自分を不審がるよりも、好奇心で話に乗ってくれそうだと──なんとなく、思ったのだ。
 断られなくて良かった。と言うか、通報されなくて良かった。
 二人にばれないように密かに息を吐く。
 胸を撫で下ろしていると、友人の携帯電話から流れる着信音が耳に留まった。
「平間。電話、来てる」
 友人に指し示すと、奴は「うん?」と首を傾げたあと、現状を把握して慌てて携帯を取り出した。
「──はいっ、はい、あ、そうですけど」
 相づちを打ちながら友人は立ち上がる。携帯電話を押さえていない手をひらりと振り、店の入り口をついと示した。申し訳なさげに眉を下げている。こちらが頷くと、彼女の方を一瞥してから入り口へと向かっていった。口は相変わらず電話口で動いたままだ。
 騒がしい店内を出て電話をするために、席を外したらしい。この様子だと戻ってくるのはしばらく後だろう。
 視線をテーブルに戻すと、彼女が目線を固定してこちらを見ていた。
「……あの、」
「──貴方も私のことが視えるんですか?」
「は?」
 今までの会話の流れから百八十度方向転換したような質問に、思わず間抜けな声が出た。
「いえ、先日のことを友人に話したら、今度また知らない人に声をかけられたらそう答えるように言われて。今思い出したので遅ればせながら言ってみました。効果はあんまり期待できないと思うんですけど、どうでした?」
「……はい」
 とりあえず相槌を打つ。
 彼女はなかなかエキセントリックな友人を持っているようだった。類は友を呼ぶ、ということわざが思い浮かんだがそれを口に出すと気分を害されるかもしれないので止めておく。
 それはさておき、と彼女は自身の発言をどうでもいいものかのように放り投げ、続けた。
「まさかまた会うなんて思いませんでした」
 先ほど考えていたのとまったく同じ台詞を言われた。その声音に改めて、少なくとも嫌悪は抱かれていないとほっとする。
「すみません」
 俺の謝罪に、彼女は何が? という風に目をしばたたかせる。
「またつき合わせることになってしまって」
「ああ、そのことですか」
 彼女は得心したのか頷いて、ポテトを口に運ぶ。それから「また貴方と話してみたいと思っていたので、良かったです」微笑んだ。
 夜露に濡れた朝顔が日差しを浴びて少しずつ開いていくところを想起した。
 実を言うと俺もそう思ってました、と、なぜかその一言が言えなかった。
 彼女が口を開く。
「付き合いたくない、って言ってたから」
 ぼそりと呟くような口調で続ける。
「私の周りにはそんな人はいなくて……ただ人とそういう話をしなかっただけかもしれないけれど……それで多分、貴方のことが気になった、のかな」
 彼女がほしいとか彼氏がほしいとか、嘆いてる人はよく見るんだけど。
 彼女は──ここで指すのは俺の前に座っている女性のことだ──自分で自分の感情を確かめているかのような話し方をした。彼女が喋っているのを、俺は軽い相槌を打ちながら聞いていた。
 ちらりと、店の入り口の方に目を遣ってみる。友人が戻ってくる気配はまだない。
 テーブル、そして彼女を見る。彼女は左腕に嵌めた腕時計に右手を添えていた。
「時間、大丈夫ですか?」
 問うと、彼女は「そろそろ……」と答えた。名残惜しそうに見えたのは、気のせいだろうか。俺の主観が混じってそう見えたのかもしれないし、そうでなかったら──実際に彼女がそう思ってくれていたら良いな、と思う。
 鞄を肩にかけて立ち上がり、彼女はトレーを両手で掴んだ。
「あの、」
「えっと、」
 自分と彼女の言葉が被った。二人とも同時に口を噤み、相手に先の言葉を譲ろうとする。拉致があかないので手のひらで俺が後ろに引いたことを示す。
 彼女は口を開き、閉じた。躊躇いがちに視線をさ迷わせトレーの上の空のカップに持ってくる。俺はその一挙手一投足を眺めていた。
「……見たいSF映画があるのですが」
 彼女はまるで呟くような小さな声でそう言って、
「カップルで行くと、かなり割引が利くらしいので──三時間だけ、付き合ってもらえませんか」
 そうしてゆっくり、微笑んだ。


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