home - unclear

ある冬の日、優柔不断な天使の話



外では、音もなく雪が降り続いていた。
白い翼を持つ少女は先ほどからずっとうずくまっていて、ぴくりとも動かない。

「ルタ、お前、またそこにいたのか」
「……ロウ。おはよう。こんばんは、かな」
「もしかしてお前、一日中ずっとここにいるのか?」
「うん、そう」
「そう、って……いつから? まさか、外に出たことがないわけじゃないよな?」
「いつからかな……。よくおぼえてないや」

少女に向かい合うように、黒い翼を持つ少年が降り立った。
少年は挨拶もそこそこに、少女を問いただした。
少年は表情をくるくると変えていた。しかし、少女の表情はほとんど変わらない。
少年の質問攻めにも、まったく動じていないようだった。
それは冷静であるというよりは、表情を知らないといった様子だったけれど。

「ルタ、お前は、外を見たいとか思わないのか?」
「……んー、うん、みてみたいけど」
「じゃあ行こう。こんな、日の光もろくに当たらないようなところにずっと居たらだめだ。だからお前はそんなに白いんだよ」
「でも、ここはあたたかいよ」
「…………」
「かみさまがいってたもの。ここはあんぜんだって、ここにいればだいじょうぶなんだって」

少女は視線をあげた。
壁に、くりぬいたように丸い小さな穴があり、そこから外の景色が見えた。
こんなに遠くにいても、雪が散らついているのが分かった。
少年も、少女の視線の先を追うようにして振り返る。
もっとも、少年は今まで外にいたために、雪が降っているのは分かっていた。
勢いは先ほどより弱まったようだと、少しほっとする。

「ルタ」
「ロウ、かみさまがいってたんだよ? まちがいがあるはずないじゃない。ここはあんぜんなんだよ、しぬことも、きずつくこともない」
「……ルタ」
「それともロウはしぬことがこわくないの? わたしはこわいよ。しにたくない……まだ、なくなりたくない」
「安全。確かに安全かもしれない。でも、その神様だって死んでしまっただろ」

少女は、ぴたりと動きを止めた。
その両目を目いっぱい見開いて、少年を見すえる。
初めて目と目が合った気がした。

「……う、そ」
「嘘じゃない。ルタ、お前知らなかったのか? もうそろそろ一年になる」
「うそ。そんなはずない、だってかみさまなんだから、」
「神だって死ぬよ」

少女は小さな子どものように、首を左右に振る。
それが残酷なことだと自覚していながら、少年はさらに畳みかけた。

「そもそも、ルタ、お前のこの生活は、生きていると言えるのか?」
「……どういう、こと」
「嬉しいことも悲しいことも、癒されることも傷つくことも、これ以上を望むことも望まれることも、進歩も退化も存在しない。そんな生活は、そんな生活を送っている生き物は生きているといえるのか……俺が言いたいのはそういうこと」
「じゃあ、じゃあロウは、じぶんはいきているっていえるの。むねをはって、わたしにそういえるの?」

少年は、少女が泣きそうな表情をしていることに気がついた。
毒気を抜かれたような気分になって、視線を落としてさまよわせる。
そして目に入った、自分の、いつ抜けたのか分からない羽を手にとった。
真っ黒な羽。そこには微塵も白色など含まれてはいない。

「俺はルタを、ここから連れ出したいって思ってるよ。今はただ、それだけ」

少年は笑んだ。
自分がずるいと、少女の求めているそれとはまったく方向性の違う答えを返していると、分かっていながら笑んだ。

「……わたしはロウみたいにつよくないよ」

少女は両腕の中に顔をうずめた。

「ルタ、お前は俺が強いって思ってくれてたの? 何か意外だな」
「……どこがいがいなの……?」
「俺は、お前は俺のことなんか何とも思ってないんだろうなあ、って考えてた」
「そんなことないよ……」

少年は上を見て、楽しげに言う。
少女は下を向いたまま、くぐもった小声で答える。
白い翼を持つ少女と、黒い翼を持つ少年。
二人は対峙して、一定の距離を保ったまま会話を続ける。

「ルタは外に出る気はないのか? 皆、誰も彼もが出て行ってしまって、周りに誰もいなくなっても、ここにいるのか?」
「ん……。わたしはやっぱり、そとがこわいよ。わたしのはねはきっと、そとにでたらこおってしまう」
「じゃあ、ずっとここにいる?」
「…………」

少女は黙りこくってしまう。
そんな少女を見て少年は苦笑し、少女のもとへと歩み寄った。
そして、少女の傍らに座り込む。
隣にではなく、背中を合わせるように。

「どっちにするか、ルタが決断するまで、俺はここにいる。ルタがこのぬるま湯から出たいって言うんなら、俺がルタを引き上げてあげる。ルタが自分で決めて」

少年は少女の方を見ずにそう言った。
少女はしばらく答えなかったけれど、

「……ロウ」

小さく呟くように、後ろに向けて声を放った。

「ロウ、ありがとう」

それから少女は顔を上げて、正面を見つめていたけれど、返事は返ってこなかった。
少女がゆっくりと後ろを振り向くと、少年が首を傾かせていた。
眠っているようだった。

少女はしばし、少年の無邪気な寝顔を眺め、やがてくすりと笑みを漏らした。
その音が思ったよりも反響して、自分で驚く。

少女は曲げていた膝を伸ばし、体重を心もち後ろにかけて少年によりかかる。
温かかった。
少年の背中は、少女が行ったことのあるどんな場所よりも温かかった。
わたしは、どれくらいのあいだひとりでいたのだろう。
少女は今さらのように思った。
答えは出てこなかったし、別にいらなかった。

少女はゆっくりと目を閉じた。

外では、依然として雪が降り続いていた。


inserted by FC2 system