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髪結い




 学校生活というのは毎日が似たような繰り返しであるせいか、人の噂が息もつかせぬ勢いで広まりやすい。それがどれだけしょうもない内容でも、一時の暇を潰す材料になればそれでいいらしい。
 客観的に見れば俺もきっとそうなのだろうと思う。思う、が、今回の噂はしょうもなさ過ぎる。いくら夏期講習の真っ最中、同じ面子で同じような講習を受ける日々が続いているからって、どれだけ会話のネタに困っているのかと溜め息を吐いた。
 昼休み。俺の座る席の前で、無駄にきらきらと目を輝かせている女子若干名。学祭のときにも騒いでいたクラスメイトたちである。
 二年になってクラス替えをした直後は、校則を破って堂々と髪を染めているからという理由で不良なのではとクラスメイトに遠巻きにされていたはずで、自分で言うのもなんだが今も髪色は改善されていない。どうする、○○が聞きなよ、と集まってそわそわしているところを折角聞こえないふりして無視してやっていたのに、どうして間違った方向に勇気を出してしまったのか。
 数秒前に尋ねられた内容は以下の通りだ。
「佐竹君って美容師目指してるの?」
 心の中でだけれど、単純明快に答えよう。いいえ、全く。
 進路調査票に匂わすようなことを書いたことはないし、それどころか小学生のときの夢としてだって挙げたことがない。勿論そんな話を友人にしたことだって。
 友人、というワードに何かひっかかりを覚え、俺は首を右後方に回した。傍らに立っていた友人二人のうち、背の低いほうと目が合い──逸らされた。ぎぎぎ、と長らく油を差していない金属のような音が聞こえてくる。考えるまでもなく怪しい。
 試しに奴の名前を呼んでみた。
「……、ナンデショウカ」
 清々しいほどの棒読みが返ってくる。
「俺に関する話、何かした?」
「イ、イイエナニモ」
「へええじゃあお前じゃなかったか、ごめん疑ったわ」
「すみません僕です」
 容疑者どころか、犯人があっさり見つかった。案の定友人だった。
 とりあえず頭に一発入れておく。
「いっ、たあ……! 身長縮むだろ!」
「誤った情報を流すな馬鹿」
 そう返すと、「多分あれだね」と、もう一人の友人が上半身をかがめてきた。
「黄太のお姉さんが美容師なんだよね? で、黄太もお姉さんに教え込まれてある程度の髪型作ったりはできる。……っていう話をこの間したけど、そのときこいつうとうとしてたから間違って覚えてたんじゃないかな」
「そうそれ!」
 俺はなるほど、と頷いた。そうして事の成り行きを見守っていたらしい女子たちに向き直る。
「ということだから、俺は別に美容師目指してたりはしない。美容師なのはうちの姉」
 これ以上誤解が生まれないようきっちり説明することにした。万一姉のいる美容室に行かれたら困るので、そこは深く言及しなかったが。
 女子たちは期待していた回答が得られなかったためか伏し目がちに視線を交わしあった。先頭の一人が口を開く。お前らそんなに暇なのか、と思いながら俺は内心身構えた。
「そっか、でも……『ある程度の髪型作ったりはできる』んだよね?」
 別の女子が畳みかける。
「あのね、佐竹くんにお願いがあるんだけど」
 さらにもう一人の女子が雑誌のようなものを差し出してくる。
「このヘアアレンジのやり方をね、教えてほしいの」
 彼女たちの剣幕に負けて雑誌を受け取る。既に開かれたページを友人たちとともに覗きこむ。それは若い女子向けのファッション雑誌で、いくつかのヘアアレンジがモデルの写真で示されていた。一応作り方が示されていたが、3ステップで完成するような簡単な紹介になっている。
 俺たちがその写真を眺めていると、女子たちがその写真のうちの一枚を指す。
「これをやってみたいんだけど、何回か試してみてもどこか違って……。全員に教えてとは言わないから、お願いしますっ」
 指差された写真を見る。ロングヘアを編みこんでアップにした、女性の後ろ姿が映っている。
 顔をあげて女子たちを見る。先ほどのきらきらを取り戻してこっちを見つめている。
 首を回して後方を見る。楽しげな友人の奥に、いるはずのない姉がいた。
 勿論ここは学校だからいるはずがないのだけれど、姉は時々こうやって俺の頭にまで進入してきては小言やら説教やらを言いたいだけ言って去っていく。今回の小言は、それくらいできるわよね? この間最近流行ってる編み込み一通り練習させたんだから、できないとは言わせないわよ? だった。別に恐怖は感じないし、本人が実際にこの場にいるわけではないのだが、断ればいずれ面倒な目に遭いそうだという直感があった。幼少時からの刷り込みとはかくも恐ろしい。
 はあ、と息を吐いてみる。ただし、あからさまに感じ悪く見えないように静かめに。
「……わかった」
「やったあ! ありがとう佐竹くん受けてくれるって信じてた!」
 話を引き受けると、女子たちを包む空気の温度が急に上がったのが感じとれた。さっきまで下手というか何というか、あんなにしおらしかったのにこうも急に態度が変わるとびびる。女子ってのは皆こうなのだろうか。突然おとなしくなったりしてこちらを戸惑わせる。
 にやにやと笑う友人たちを横目に、女子一人を教室の椅子に座らせ、俺はその後ろに立つ。一体何が始まるのかと周りのクラスメイトたちがちらちらとこちらに目を向けてきたが、これ以上面倒ごとを増やしたくないので無視した。
 雑誌を机の上に置いて、改めて作り方の説明文を読む。以前姉に叩き込まれたやり方を、少し応用すればできそうだった。
「まず」
 友人二人と女子たちに囲まれながら、椅子に座った女子の髪を一房手に取る。
「こうするだろ」
 細く分けた髪を三つ編みのように、頭の後ろの方で右上から左下にかけて斜めに編みこんでいく。これはきっちり編みこむのではなく、少しほつれさせたり緩めに作っていく方がいいらしい。
「で、こうして」
 編みこんだ髪の余りを左耳の後ろでくるくると巻き、お団子のように丸くする。これも固い円ではなく、四葉を描くようにふわっとしたものだ。一房だけそこには巻き込まず、肩の方へと垂らした。編みこみを始める前に緩く巻けばもっとゆるふわ感が出るのだろうと思う。
「こう」
 後ろで編みこんだアップヘアスタイルの完成である。できあがったので、振り返って女子たちに示す。
「わああああああっ」
 と、歓声があげられた。ヘアアレンジを行った女子を囲んで、髪を実際に触って確かめたり、かしましく騒いでいる。最初はひどく面倒事を持ってこられたと思ったが、こんなにも喜んでくれるのであれば、まあ、悪い気はしない。そんなにもその髪型を作りたかったのか。
 もう一度雑誌の写真を見て、少しずれているところを直す。突貫で作ったので完全に再現できているわけではないが、作り方は間違ってはいないだろう。
「あ、」
 後ろで友人が何かに気づいたようで声をあげた。
「おーい、……あれ、行っちゃった」
 勢いよく手を振って、しかしその相手はこちらに気がつかなかったのか、しょんぼりとした様子で下げる。
「知り合い?」
 尋ねられて友人は俺の方を見る。俺は廊下の方ではなく女子の髪を見ていたので友人が誰に声をかけたかったのか分からないが、なぜこっちを見て答えようとするのか。
「ゆかり先輩が通ったからさあ、手振ってみたんだけど……絶対こっち見てたと思ったんだけどなー」
 さらりと放たれた言葉に、思わず髪をいじる手が止まる。聞き間違いかとも思ったが、こいつらが名前で呼ぶ先輩なんてそういない。女子たちは誰の話題なのか分からずきょとんとしているので、聞き間違ったのではないらしい。
「黄太」
 静かな声で呼ばれて、背の高い友人の方を見る。
「今追っかければ間に合うかもよ」
「は、何で」
「すっごくもやっとした顔してたから」
「……はあ?」
 もやっとした顔って何だ。そう思いつつ眉間に手をやるとたしかに皺が寄っていた。別に表情を変える理由も、心当たりもないのだけれど。
「ほら、早く!」
 俺が分からない理由をなぜか友人たちは完全に把握しているようで、背中を押されて教室を追い出される。何だって言うんだ、という気分で渋々足を動かしてみると、「ダッシュ!」と急かす声が飛んでくる。
 仕方がないから軽く走りながら廊下を行く。廊下なんて絶対に走らない彼女のこと、右側に階段があるところまでさしかったたところで、階段を上る彼女の後ろ姿を見つけた。長く伸ばしたあの黒髪は、清水ゆかりに間違いない。
 階下から背中を呼びとめようとして、何と口にしたら良いのか、彼女を何て呼べばいいのか、言葉が見つからず言いよどむ。結局彼女が行ってしまう前にと、一段飛ばしで階段を駆け上がった。ちょうど踊り場のところで、回り込むようにして追いつく。
 視界に彼女を捉えたことを確認する。酸素を吸って、吐き、急に激しい運動をしたことで波打った心臓を落ち着かせた。
 彼女は不意に現れた俺に驚いたのだろう、両目を大きく見開いたまま、何も言わなかった。お互い無言のまま数秒が経過する。さすがに何か喋らなければまずいだろうと思った。
「あんたがいるのを見つけたらしくて……それで、あいつらが行けって言うから」
 ひどく幼稚で言い訳がましく、それでいて訳の分からないことを言ってしまった。自分に突っ込みを入れていると、彼女はきょとんとした様子で瞬きした。数拍後得心したようで口を開く。
「ええ、貴方を見つけたから、声をかけようかなと思ったのだけれど……」
 思ったけれどやめた、と。ということは、こっちを見ていたというのは友人の勘違いではなかったようだ。さすがに教室の中に突撃してくるほど、空気の読めない先輩ではなかったらしい。
 そんなことを考えているうちに、彼女は何か言いたげにこちらを見上げ、視線をさ迷わせた後に噤んだ。そうしてしばらくしてまた同じことを繰り返す。まどろっこしいので催促しようかと思ったときに、意を決したのか発声音が聞こえた。
「……かみは」
「かみ?」
「髪はやっぱり、結んだり飾りをつけたりだとか、そういった女の子らしいことをした方が良いのかしら、と思って……」
 彼女は自身の黒髪に手をやる。日に焼けて茶色っぽくなったりなど決してしてしない黒髪が、背中の真ん中辺りまで伸ばされている。長さは綺麗に横に揃えられていて、その長い髪が結われているところを、たしかに見たことはなかった。
「体育のときや家で勉強するときなんかは結ぶのだけれど、それはちょっと違うような気がして、……手を振り返すのを忘れてしまったのは謝っておいてもらえる……?」
 彼女が髪を結っているところを想像してみる。そうは言っても肩口で一本に結ぶ程度なのだろうなと考えたところで、なぜ彼女は髪の話を始めたのかという根本的な疑問に行き着いた。
 俺が女子の髪をいじっているところを見たから、だろうか。
「ヘアアレンジ、してやろうか」
 するりと言葉が零れ出た。
「……え?」
「いや、興味あるならやってやろうか、って」
 昼休みもまだ時間あるし。
 そう提案すると彼女は驚いた様子で「えっでも」を繰り返した後に、恐る恐るといった小さな声音で「お願いします」と言ってきた。声音に反して頬が上気していたし、先ほどの発言からもすげなく断られることはないだろうとは思ったが。
 ラウンジに向かい、隅っこの方に空いていた椅子に彼女を座らせる。彼女は揃えた両足の上にぴっしりと手を添えて座っていた。何か髪型の希望を言ってくるだろうか、と思って待ってみたものの何かをリクエストしてくる様子はない。
 じゃあ、先ほどの女子と同じ髪型にしようか。やり方ならばさっき作ったばかりなので分かっている。
 少し掬ってみればさらりと流れていく彼女の髪の滑らかを確認しながら考える。こんなにも長くしているのに全然痛んだ様子がない。姉が見れば感激して、そのあと使っているシャンプーや手入れの方法を問い詰めそうなほど綺麗な黒髪だ。
 花のようなシャンプーの香りがふわりと立ち上った気がして、一瞬どきりとした。
「ええと、なにか問題でも……?」
 動かない俺を不審に思ったのだろう、彼女が後方に首を傾けてくる。
「──いや、」
 我に帰って、これからつくる髪型を決めた。クラスメイトの女子と同じ髪型にはしない。巻いて緩さを出してから編みこんでアップにする髪形よりも、この綺麗な長い髪を生かす髪型の方が彼女には似合うだろうと思った。
 髪を掬って、編みこむというよりは結うような形にしていく。前にインターネットで見たハーフアップのような髪型で、あげた髪をそのまま垂らすのではなくそれをリボンの形に結い上げるようなものだった。彼女の望んでいたヘアアレンジとは多少違うかもしれないが、赤やピンクのリボンを髪につけるのよりも大人っぽいし、可愛さもあるので一度やってみたかったのだ。
「できたぞ」
 そう告げると、彼女は首を回して完成した髪型を見ようとする。見えるはずがないことに気がついてはっと目を見開くと、ブレザーのポケットから手鏡を持ち出してかざし始めた。手鏡を持ち歩いていたことには驚いたが、そんな小さなもの一つで後ろが見えるわけがない。この先輩は、先輩であるわりにこういうところが抜けているというか……本人に言えば大激怒されるだろうが、馬鹿だ。そう考えると妙におかしくなって、放置しようかとも思ったがさすがにやめる。
「ちょっと動き止めろ」
 俺はポケットから携帯を取り出し、斜め後ろから彼女を撮って見せてやった。彼女は俺の携帯を抱え込んで、小さく感嘆の息を漏らす。
「そんな感じでよかったか?」
「ええ、」
 頷いて彼女は立ち上がり、
「ええ、嬉しいです。こんな可愛らしい髪型をしたのは初めてで……ふふっ、真白たちに自慢してきますね」
 ゆっくりと、まるで蕾が花開くように彼女は微笑んだ。
 そんな穏やかな笑い方を見たのが初めてなような気がして、それを認識した途端に直視できなくなる。
「そ、そんなんでいいなら、またやるけど」
「本当ですか?」
 ぱっと顔を輝かせる彼女にまた頷く。
「ありがとう」
 とても嬉しそうな、楽しそうな、周りに花が咲いているのが見えそうな様子だった。クラスメイトの女子たちにも同じように喜ばれたのに、嬉しさの度合いが違うのは、頼まれてやったのと自分からやったのとの違いだろうか。
 どうせだからこの際自分でもできるような簡単なヘアアレンジを教えてやろうかとも思ったが、そこで昼休みが終了するまであと十分だということに気がついた。俺も彼女も午後の講習が残っているからそろそろ教室に戻らなければならない。
「それでは、良ければ今度教えてください。では、また」
 恐ろしい勢いで突っかかってくる普段の彼女なんてどこにもおらず、後ろ髪に手をやってははにかみながらお礼を言って彼女は自分の教室へと戻っていった。その後ろ姿を見送って、俺も自分の教室へと向かう。
 彼女はこれから、友人の真白──よく彼女の発言に出てくるが、おそらく女子だ──に自分の髪型を見せるのだろう。様子が目に浮かぶ。昼休みに髪型を変えたけれど、クラスの女子のようにアップにして大きく編みこんだわけではないから、急な髪型の変更に周りがざわめくこともそうないだろう。後ろにいる人はさすがに気づくかもしれないが。
 階段を下りながら、彼女の後ろの席が男子じゃなかったら良いが、などと考える。考えて、一体なぜそんな思考回路に陥っているのかと我ながら疑問を抱いた。別に彼女の後ろの席に女子が座っていようが男子が座っていようが、俺には関係のないことだ。
 髪を振ってすべての考えを頭から追い出して、俺は嬉しさだけを抱いたまま教室の扉をくぐった。


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