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告白




  声が聞こえているのは分かっていた。けれどそんなことは気にせず、真白はいつものように階段を下りていた。腕の中の教科書と筆箱が僅かに撥ねる。
「──それで、私……」
 昼休みに少しだけ、図書室で勉強しようと思った。真白の通う高校の図書室は、一階の一番東側に位置している。それには東側の、普段はあまり生徒に利用されていない細い階段から向かうのが近い。だから彼女は何気なく、階段を四階から下りていたところだったのだ。
「……ずっと前から、貴方のことが好きでした」
「──っ、」
 ちょうど二階へとたどり着こうとしたそのとき、細く高い言葉を耳の端で捕らえて、思わず真白は足を止めた。床と擦れた上履きが微かに音を立てる。
 二階から一階へと続く階段の、踊り場を過ぎた辺りに、誰かいるようだった。真白の位置からその姿は見えない。声の質からそこには少なくとも女子一人がいると思われる。ひどく緊張した様子の高い声が、糸を伝うように聞こえてくる。図書室に行くにはもう一階分階段を下りなければいけないことは分かっているのだが、真白はそのまま足を止めていた。
 どうしよう。
 視線をさ迷わせるものの助言をくれる人はない。さすがの真白でも、今しがた一つ下の踊り場で行われることが何であるのか検討はついていた。俗に言う、告白というやつである。
 こういったときにどうすれば良いのか。真白が思いつく答は一つしかなかった。図書室は諦めて、静かに踵を返すのだ。彼女の友人、清水であれば、このような状況に際してどんなアドバイスを寄こすか見当がついていた──こんな場面に出くわすことなど滅多にありませんわ、真白、結果まできちんと見守るのです!──しかしそのアドバイスにそのまま従えるとは自分でも思えなかった。
 音を立てないように細心の注意を払って、真白は爪先の向きを変えた。仕方がない、このまま彼女たちがここを去るのを待ってみてもいつになるかは分かったものではないし、自分のいる二階へと上ってこられて鉢合わせても気まずいものがある。
 手すりへと右手を伸ばし、一段一段、確かめるように階段を踏む。出来る限り音を立てないように息も殺していた真白の耳に、階下からの声が意味を伴って届いたのは、偶然だったのだろうか。
「私と付き合ってください、……黒谷君」
 その言葉を頭が認識するや否や、真白は弾かれたように走り出していた。恥じらいも何もなく階段を二段飛ばしで駆け上がり、手すりを指先でつと切って踊り場を回る。無遠慮な足音が階下へと転げ落ちていくがそれを留めることもできない。
「……は、ぁっ」
 四階まで上りきると、それ以上上に伸びる階段はない。
 たった数階分の段差を上っただけだというのに喉が張り付くように痛かった。
 何やってるんだ、私。あそこにいたのが、黒谷……同じクラスの、三年の黒谷とは限らないだろう。何より、本人だったからといって私には何も関係がない。逃げるように去る必要だってない。
 頬が、額が、腕が熱い。全身が酸素を求めているような気さえする。もう一度大きく息を吐いて、真白は壁に背中を預けた。
「……何やってるんだ」
 呟いて両手の平で顔を覆い、そのままずるずると、壁から滑り落ちるようにしてしゃがみこんだ。膝から滑り落ちた教科書と筆箱ががしゃりと音を立てて、ぞんざいな扱いをする持ち主に抗議するのが聞こえた。

 気だるげな挨拶が教室のあちらこちらから発されて、次いで重たいものを四苦八苦しながら引きずる音が響き始めた。間髪入れず、四階の廊下は教室から溢れてきた生徒たちで手狭になる。
「赤池」
「ん、呼んだ? なに、どしたの黒谷」
 赤池は小柄な体格に似合わない大きなエナメルバッグを背負いながら、声をかけてきた友人に応えた。
「白ちゃん知らない? 教室から出て行くの見たか?」
 エナメルバッグの肩紐の位置を直し、教室内を見回す。確かにクラスメイトの真白の姿がない。
「や、見てないけど……ああ、でも」
「でも?」
「昼休み辺りから何か元気なさそうだったからさー、すぐ帰ったと思う」
「そっか」
 赤池に礼を言って、黒谷は自身も鞄を手に取った。
「ま、何か用事あるならメールした方が早いんじゃないか?」
「そう、だな……」
「それじゃ、おれは部活に顔出したら帰るから。じゃあな!」
「ああ、また明日」
 どこか思案している様子の黒谷に別れを告げて、赤池は教室の扉をくぐった。


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