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「お姉ちゃん、出かけるの?」
 昼も過ぎた頃、上着を一枚羽織ったユーレカは子どもたちに囲まれていた。自分の半分の身長もない子どもたちにじっと見据えられ、思わず噛み合った視線を外す。
「ちょっと街に用事を思い出したので、言ってくるですよ」
 少し腰を折って根負けしたようにそう説明すると、彼らは途端にしゃぼん玉が割れたように騒ぎ出す。お姉ちゃんばっかり出かけてずるい、というのが彼らの主張だ。自分も幼い頃は自由に出かけられる日を夢見ていただけに、ユーレカにもその気持ちはよく分かる。慰めの言葉をかけようとして、通るべき道はきちんと避けずに通るべきだという観念が頭を掠めた。
「皆ももう少し大きくなったら、好きなところに好きなように行けるようになるです」
 お姉ちゃんもシスターみたいなこと言う! と、子どもたちの中で頭一つ飛び出ているジェイクが頬を膨らませる。
「大きくって、いつになったらなれるの? このくらい?」
 イェンナが細い両腕を宙に向けて目いっぱい伸ばした。それを見て、より小さい子ども達がぴょんぴょんと跳ねる。
「そうですねえ……イェンナの三つ編みが地面に着くくらい、髪が伸びた頃でしょうね」
 ユーレカが笑うと、子どもたちはイェンナの姿を見、今は肩までしかない彼女の三つ編みが床で擦れる場面を想像したのか、ほわあ、と感嘆の声をあげた。イェンナも嬉しそうに笑い、しばらく膨れていたジェイクがそれにつられる。
「それじゃあ行ってくるです、皆良い子にしてるんですよ」
 ユーレカは膝を伸ばし、玄関口へと向かう。子どもたちはその背中をぞろぞろと追う。いっつもいいこだよ! と輪の中の誰かが言った。
「良い子には、お土産にロアンさんの飴を買ってくるです」
 ユーレカが振り返って笑いかけると、
「ロアン爺の飴! やった!」
 年長の子ども達が嬉々とした。事情の分からない幼い子ども達も、雰囲気は察したのか破顔する。その横を、洗濯物を抱えた修道女がすれ違った。
「レカ、あんまりそうやって甘くしてると、いっつもそういう『特別なこと』があるって思われるわよ」
 彼女はそう言ってくすくすと笑った。それもそうですね、とユーレカも笑みを返して、今度こそ子どもたちに別れを告げる。いくつもの無邪気な声がユーレカを送った。
 後ろでに扉を閉め、階段を降りる。
「子どもはいつになったら、大人になれるんでしょうね……」
 小さく呟いて、ユーレカは孤児院を背に歩き出した。

 この世の中で一番大切なものは何だと思うと問われたら、ユーレカは迷わずに知恵だと答えるだろう。それは愛のように不確かなわけでも、金のように信頼ならないものでもない。愛がなくても生きてはいけるが、知恵がなくては一直線に死に向けて歩いていきかねない。自給自足のできないこの社会で金は確かに必要だが、知恵がなくては金を稼ぐことすら侭ならない。
 それはユーレカの持論であり、同時に情報屋ギルドの設立理念と一分も違わないものであった。だから彼女にとって、情報屋ギルドに通うことはそこまで辛いことではない。
「ラク、何か有益な情報入ったりしたですか?」
 一見酒場と何ら変わらぬ建物のカウンターに座り、開口一番にユーレカはそう問うた。カウンターの向こう側でグラスを拭いていた男が、視界に彼女を縫いとめる。それでも表情は何ら変わらぬまま、グラスを拭き続ける手も止めなかった。
「ああ……そういえば、昨日の四時頃」
 訊いたところで常のように特にない、自分で探せと言われるのだろうと考えていたユーレカは、頬杖を突いたまま目線だけを上げた。
「あんたに仕事を頼みたいって奴が来た。正しくは『一番信用がおける情報屋を教えてくれ』っつうからあんた──有刺鉄線≠フ名だけあげといたが」
「それは礼を言うですよ」
 あまり感謝の念のこもっていない口調でユーレカは返す。左手は先ほどから、ウェーブのかかった髪をくるくると指先に巻きつけては解いて弄んでいる。
「それで、提供して欲しい情報は? 何も言ってきてないんですか?」
 ユーレカの言葉に、男は肩を竦めた。
「さあな、どうやらあまりこういうところを利用しない奴っぽかった……落ち着いて臨機応変に対処してはいたがな。提供を依頼するかどうか、情報屋本人に会ってみてから決めると言っていた」
「へぇ……報酬は割りに合いそうですか」
「ああ、まあよっぽど法外な金をぼったくろうとしない限り、提示した額は出すだろう。俺が言うのもなんだがそこそこ信用できそうな奴だった」
 ユーレカは適当に相槌を打つ。本人に会ってみてから決めるなどと、久々に変な客が現れたものだと思う。大抵彼らは欲しい情報が手に入ればそれで良くて、それを調べ上げた情報屋のことなど歯牙にもかけないものだけれど。まあ、変な客であるにしろ何にしろ、この情報屋ギルドの管理人が信用に値すると評した人物ならば、万一のことはないだろう。会ってみようか。……少し、興味が湧いた。一体どんな物好きか。
「場所と日時を指定して、その人に伝えてください。それから、また明日寄るのでその時にこちらにも」
「ああ、場所はどこでもいいんだろう。時間は市庁の鐘が鳴る前に交渉終了するように……いつも通りに設定するぞ」
「はい。お願いするですよ」
 ユーレカが男を見据えてにっこりと笑むと、対して男は少し後方に下がる素振りを見せた。
「あんた、その薄っぺらい笑みいい加減に止めろ。こんだけ付き合い長けりゃ分かる」
 眉間をしかめた男に、ユーレカは一層の笑みを返した。
「分かってないですね、ラク。だからこその有刺鉄線≠カゃないですか」
「……は、」
 ユーレカは両手の平をカウンターに突いて立ち上がり、再び挨拶もせずにそこを去った。男に背を向け、手だけをひらひらと振る。そのまま情報屋ギルドを埋めるテーブルを取り巻く人々の中に紛れていった。
「何年経っても掴めない奴だ……」
 男は呟いて、暇つぶしに行っているだけのグラスを磨く作業へと戻った。


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