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 二人は呆然とし、しかし看守がアークよりもいち早く平静を取り戻す。
「……え、でもティアナさん、宿の切り盛りは今のところ二人で足りているんじゃあ……」
 アークとティアナを交互に見る看守。ティアナはそんな彼の応対に、一瞬目線を天井へと滑らせてみせた。
「いいのよ。――そこの不良甥っ子が、旅に出るっていうから」
 その言葉に、酔いが回ってきて、それまでティアナに気を留めていなかった村人たちが、驚きの声をあげた。
「誰が旅だって、ティアナ?」
「あれだけ坊主を出したがっていなかったお前が?」
「もう酔いが回ったのか? それとも新しい冗談か?」
 口々に騒ぐ周りに、ティアナは居心地が悪そうに「あたしだって考えを改めることくらいあるわよ!」と反論する。
 アークはティアナの台詞が信じられず、思わずカーライルの姿を探した。アークの思いが伝わっていたかのように、こちらを見ていたカーライルと目があった。彼はにこにこと笑みを浮かべていた。
「そう! だからさっき、詳しい話は後でするって言ってたけど……今日はアークの送別会も兼ねてるのよ!」
 村人たちに散々いじられて、自棄のようにティアナが叫ぶ。
「おお、じゃあ今日は飲まなくちゃな!」
 誰かが高らかにそう宣言した。そんな特別な行事がなくともお前は飲むだろうと突っ込みを返されて、笑いが宿の中に弾ける。
「……ええと、それじゃあ」
 看守がカウンターへと振り返り、驚き覚めやらぬ顔のまま言う。
「君が旅から帰ってくるまで、後任を勤めさせていただく……ってことでいいのかな?」
 全くの相談なしに突如現れた話に、まだ頭がついていけていないアークはとりあえず頷く。
 宿の経営をティアナ一人で請け負うのは難しい。自分が宿を離れるのならば、誰かに代わりを頼まなければいけなかった。そこまで頭の回っていなかった自身に至らなさを感じながら、アークは看守の顔を見る。
 あれだけアークが宿を離れることを反対していたティアナだが、実は色々と考えていてくれたらしい。
「お願い、します」
「こちらこそ、先輩?」
 看守がおどけて言う。二人でひそやかに笑い合っていると、ティアナが近づいてくるのが見えた。
「ティアナさん」
「姉さん、」
 再び二人の声が重なる。ティアナは看守の方を見て、
「詳しい説明は明日にでも……あたしがそっちに行って話すわ。それで大丈夫?」
 その言葉に看守が頷く。それから彼は盛り上がるテーブルの方を一瞥して、
「それじゃあおれはあっちに混じってくるよ」
 とカウンターからするりと抜けていった。彼なりに空気を読んだつもりらしい。
 ティアナは呆れたのか安堵したのか、空気を吐いて、看守と入れ替わるようにしてカウンターの椅子に座った。
「――アーク」
「うん」
「あんたに言わなきゃいけないことが、沢山あるんだけど」
「……うん」
「まずは昨日、話を頭ごなしに否定してしまって……悪かったわ。ごめんなさい」
「姉さん、そんな」
 年下、しかも甥に頭を下げるティアナに、アークは狼狽する。たとえ自らの非を認められたとしても、下と分かっている者に素直に謝ることはそう簡単ではない。
「あれはあたしの、何ていうか、八つ当たりみたいなものよ。忘れてちょうだい」
 アークが返事をできずにいると、ティアナは一拍置いて再び口を開いた。
「それで、宿の仕事に関しては、彼にしばらくの間手伝ってもらうから……アーク、あんたは何も気にせず首都に行ってきなさい」
「姉さん」
「今朝、カーライルさんから詳しい話を聞いたわ。アークが助手をしてくれる代わりに、滞在費から何から受け持ってくれるって。そんな好機は早々ないわよ!」
 言いながら、ティアナの瞳にはどこか寂しげな光が潜んでいた。
 叔母が宿を出て、首都に旅することを認めてくれた。とても嬉しいことのはずで、たしかに喜びを感じているのに、アークはティアナの目の前であからさまに喜ぶことができなかった。
「首都なんて、あたしもついていきたいくらいだわ。だからアーク、カーライルさんにしっかり話を聞いて、手早く準備を済ませちゃいなさい。出発は早い方が良いんでしょう?」
「……うん」
 ありがとう、という言葉をそのまま口に出すだけでは何だか足りない気がして、言い淀むアークに、
「なんでそんなに暗そうな返事してるのよ!」
 首都よ首都、灯の都よ! ティアナはいつものような溌剌とした様子で立ち上がり、アークの黒髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
「わっ、ちょ姉さん……!」
 幼い頃によくやられた動作に恥ずかしくなっていたアークは周りが彼らを、幼い頃から見守ってきた親子を見るような、温かい目で眺めていたことに気がつかなかった。
 そうしてティアナは再び客たちの相手に戻っていった。アークは、今回の話を受けて激励を言いに来た客たちと談笑する。
 首都に――図書館に行ける。
 心の中で呟いてみると、ようやく実感が沸いてくる。天井から自室を透かし見て、明日は忙しくなりそうだと考えを巡らせた。
「坊主、旅の無事を祈って乾杯するぞ!」
 カウンターに座って、アークに自身の冒険譚を語ってくれていた村人が声をあげた。アークは彼の空のグラスに酒を注ぐ。
 自分はカーライルたちについて、首都に行く。幼い頃から自然とやってきた宿の仕事は、しばらくの間、人に任せるのだ。その間、この場所に立つのは自分ではない。ここで少し寂しいと感じるのは、本当に、本当にただの、我が儘だということが分かっていて、自分がこんなにも欲深かったのかとアークはぼんやりとした驚きを感じていた。


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