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 すっかり陽が沈む頃には、宿に人が集まってきていた。カーライルたち五人を始めとした宿泊客たちが一階に下りてきていて、そこに村人たちが加わっている。既に席は足りなくなっていて、壁にもたれかかっている者もいる。酒や料理はまだ振舞われてはいなかったが、打ち解け始めた宿泊客と村人たちの声で宿は騒がしかった。
 アークはカウンターの奥、窯の前を陣取っていた。昼間にティアナが買ってきたばかりの野菜を使ってサラダを作ったり、簡単な炒め物を作って皿に盛る。同時にパンを軽く温め直した。一人で複数の作業を進めるのは忙しかったが、大人たちは料理よりも酒を主な目的としているので、料理は簡単なもので構わない。そのため、特段焦ることもなくアークはてきぱきと仕事をこなしていく。
 そうしてあとは食べられるばかりになった料理は、食器とともにティアナがテーブルに割り振っていく。それからグラス、大きなジョッキに注がれた酒、酒瓶が各テーブルの中央に置かれる。村人たちはその酒をグラスに注ぎ、一人一人の手に握らせる。その動作は既に手馴れたものだ。
 宴会に参加する予定の村人のほとんどが到着し、その全員が手にグラスを握った。彼らは酔いが回る前から楽しげな様子だった。村の経済が、隣国へ行き来する旅人の落としていく金を基盤として回っていることもあって、村人たちは外から来た人との関わり合いに積極的である。
 ティアナは彼らの周りをくるくると立ち回り、酒の不足がないことを確認した。グラスが十分に行き渡っていることに満足げに頷くと、息を吸って声を張り上げる。
「それじゃあ、皆さん──色々話したいこともあるけど、そういうのは後に回すわ! グラスは持ってる?」
 待ってましたと言わんばかりの視線を受けて、ティアナは自身もグラスを握る。アークも料理をひと段落させ、手近にあったグラスを掴んだ。普段はあまり飲まないが、グラスの中身は酒である。宴会の主催側である以上、摂取量は周りに気を配れる程度を守らなくてはならないが。
「今日は楽しんでね──乾杯!」
 ティアナの声に、全員がグラスを持った腕を高く突き上げた。男たちを中心に一気にグラスをあおり、それからはめいめい、料理を皿に盛ったり気のあった人と談笑し始める。
 先日の宴会に参加できなかったアークにとって、一月ぶりの宴会である。今晩開催すると、ティアナがいきなり言ったときには驚いたが、宿の中で宿泊客と村人が混ざり合って暖かな雰囲気を醸し出しているのを見るのが、アークはわりと好きだった。
「そういえば、姉さん、もう怒ってないのかな……」
 ふと思い出して、アークはティアナの姿を追う。昨晩のティアナは、怒っていると表現するのが適切かどうかは分からないが、アークの首都に行きたいという話に強く反対していた。怒りを長引かせる性質であるティアナが、翌日にこんなにも何事もなかったかのように朗らかにしているのは珍しい。
 それとも、彼女の中では、昨日の話など既になかったことになっているのだろうか。
「だとしたら、どうやってもう一度話そう……」
「何をだい?」
「え?」
 頭の中の考えをいつの間にか口から零していたらしい、独り言に返された言葉に、アークは面食らって顔をあげた。
「やあ、ぼくのこと覚えてるかい? ええと、君が来たのは……」
 アークが思案にふけっている間にカウンターの向こう側に座っていた男は、朗らかに話し始めた。その男の口調と顔には覚えがあった。
「駐在所の……看守さん!」
「そう、せいかいー」
 よく覚えてたねえ、と男はへらりと笑みを浮かべる。
 村にある小さな駐在所で、看守をしている男だった。改めてこの場で彼を見れば、深く話したことこそないものの、何度か宴会で見たことがあったことを思い出した。
「お久しぶりです……あ、この間はお世話になりました」
「いえいえー」
 軽く頭を下げるアークに、男はひらひらと右手を振る。そしてその緩んだ口調のまま、「それで」と続けた。
「君に伝えようと思ったんだけど……あの、盗賊達のことで」
盗賊とは、アークが森の中で不運にも出会ってしまった、村の襲撃を画策していた集団のことである。シュウやファスの働きによって縄に縛られ、駐在所の地下に入れられていたのだが。
「昨日……、一昨日だね。彼らを本国で――いくつかの店や村で窃盗を働いたことと、この村への襲撃未遂という罪状で――裁くことになるっていう通達が、ようやく届いたよ。レーゲンハルド経由で送還するんだって」
 看守は特に何の感慨も込めず、淡々と述べた。いちいち囚人に感情移入していては、看守という仕事などやっていけないからかもしれない。
「……そう、ですか」
「うん。君なら彼らの行く末に関心があるかと思ってねえ、伝えようと思っていたんだ」
「……はい、ありがとうございます」
 晴れやかな気持ちになることはなかったが、自分の中で何かが一段落したような気はした。彼らが裁判の結果どうなるかはわからないし、裁判に関する知識などは何一つないが、窃盗で死刑になることはないのではないだろうか。彼らが判定の結果を順当に受け止め、自身の今までの行いを改めて考えてくれれば良いと、アークは思う。
 看守とアークが他愛ない話をしているのを、視界の隅に捕らえて僅かに目を見開いた人物がいた。宴会の主催者としてくるくると立ち回っていたティアナである。彼女は何か思案するように目を細め、ゆっくり口を開いた。そして、カウンターから離れた位置から看守の名を呼んだ。
 看守は自身の名が呼ばれたことで不思議そうに振り返り、アークもその動作を追った。看守の名を聞くのは初めてだったので、声の主がティアナであることに気づき、彼らは親交があったのかと少し驚く。
 ティアナは立った位置から動かぬまま、声を張る。宿の中がざわついているために、その声は声量のわりに浮き立たなかった。
「ねえ、あなた、うちで時々働く気ない? 常に仕事があるわけじゃないから非番のときに何かしたい、って言ってたわよね?」
 とても自然な口調で、宿の手伝いを誘うティアナに、
「……え?」
 看守とアーク、二人の唇から思わず声がこぼれ落ちた。


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