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「本を探すなら、やっぱり本の集まるところに行くべきよね。それなら図書館か古本屋かしら」
「古本屋に置いてあるほど有名なものとは限らないですよ。なんせ五人が読めなかった本ですから、一般大衆に向けて売り出されてるとは考えにくいです」
「つーとあれか、図書館に行かないと駄目なのか? ……うわあ、行きたくない」
 ソレイユとユーレカの提案に、シュウが額を押さえる。
「……そういうのをデクレア・デカナ、と言うんだ」
 シュウを見てファスが呟いた。
「ファス、どういう意味?」
「デクレアが好まない、デカナが見ない、知らない……だ」
「食わず嫌いってことですよ、シュウ」
 ユーレカがにっこりと笑う。
 少し横道に逸れた他愛のない会話を、アークは遠くに感じていた。彼らの輪には加わらず、ぼんやりと眺める。
 ……そうだ、ここが宿であり、彼らがその宿泊客である以上、彼らが宿を出て新たな旅に出発するのは当たり前のことだ。生まれてからずっと、一度も離れることもなく鈴蘭の音色で働いてきたのに、何を今さら当たり前のことを言っているのか。どれだけ彼らと仲良くなったとしても、それは宿屋にたまたまいた子どもと客の間の、必要最低限な触れ合いの延長戦上にあるものに過ぎない。
「……それを寂しい、なんて」
 アークは舌の上で言葉を転がす。
 何年宿屋の息子をやってきたと思っているんだ。宿屋とは旅人に束の間の休息を与えるところ。笑顔で彼らを送り出して、「よろしければまたご贔屓に」と商売精神を忘れないくらいが正解だ。
 それを寂しいと感じてしまうほどに、アークはシュウたちと関わりあってしまった。改めて考えると、この歳で仲良くなった人というのもいなかった。宿にはやや素行の悪い冒険家が泊まりに来たり、あるいは日常的に客に酒を提供したりしているために、村の子どもたちは滅多なことがない限り宿に近づかないよう言われている。アークが十歳位の頃は、月に四、五回、村で開かれる学校に通っていたか、そこでできた友人たちでも、深い話をするほど親しいわけではない。アーク位の歳になれば、首都にある学院で本格的に学ぼうという者を除けば皆働き始めているものだから、出会うことすら珍しいのである。
 アークは静かに、深く息を吐く。カーライルたちの話がまとまったら、また泊まりに来てよと笑って言おうと決めた。もともとカーライルは『鈴蘭の音色』の常連であり、アークともよく話をしてくれていたから、また五人で泊まりにきてくれる見込みはある。彼らとは何か縁ができたような気がするのだ。
「それで――、」
 カーライルたちの話し声が途切れ、空気の流れが変わったのを感じ、ふとアークは顔を上げた。五対の瞳がこちらを見つめていたのに驚き、「どうしたの、皆」と問うと、彼らは再び一斉にさえずり始める。
「いや、全く喋らないからさあ、具合悪いのか? ……ああ、俺と同じで図書館に行きたくないとかか!」
「心ここにあらずといった感じでしたよ」
「シュウと同じなわけないでしょ。アーク君、やっぱり疲れてるのよ。毎日働いているんだし、こんな遅くまで付き合わせてしまっているんだもの」
 ソレイユの気遣いに、アークは首を横に振る。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてただけだから。カーライル、気にせず続けて」
「ああ、ええと……そう。それで、私は、出来たらアークにも首都まで着いてきてもらえたら……と思うんだ」
 カーライルはゆっくりとそう言って、アークにその言葉を咀嚼する時間を与えるかのように口をつぐんだ。
「え、……え?」
 彼らの話をほとんど聞かず、あるいは聞いてはいても自分に関係するものとは露ほども考えていなかったアークは驚きの声を漏らす。
 カーライルは口を開いた。
「アークにはこの宿での仕事があるし、私たちの仕事に付き合う義理もない。だから本当に、君の好意にもたれかかるような頼みになってしまうのだけれど……ああ、勿論移動中の全ての経費はこちらが受け持つし、お礼も出すよ」
 ソレイユたちは先程、何の話をしていただろうか。アークはゆるゆると頼りなげな記憶の糸を辿る。確か――図書館、と言っていたか?
「首都まで来てもらって、私たちが見つけた資料を解読してもらいたいんだ。あそこに行けば資料があるはずだから。その資料が持ち出し不可の物であった場合、君にその場で訳してもらいたいんだ。写本をして『鈴蘭の音色』まで戻ってくる時間を考慮するとね」
 展開に頭がついていかない。一語一語を噛み締めるのに精一杯な状態のアークに、四人が続ける。
「でも、もし……アーク君が首都に興味があるなら、一緒に来てくれると嬉しいわ」
「ああ、旅も楽しくなるだろうしな! 何て言うんだこういうの、新鮮味っていうか」
「首都までの道程は、ファスとシュウがいるから大丈夫。協力してくれる以上、安全は出来るかぎり確保するです」
「……強制は、しない」
 アークは自分を見つめる一行の顔を、順番に視界に入れる。
「……図書館?」
 やがて口から零れ出たのはそんな単語だった。
「うん?」
 聞き返す声に、今度はしっかりと唇を動かす。
「カーライルたち、図書館に行くって言ってた?」
 そう問うと、突然、シュウが吹き出したように笑い声を立て、体をくの字に曲げた。
「……ははっ、アーク、お前何にも話聞いてなかっただろ……!」
「失礼ですよ、シュウ」
「や、だって」
「だってじゃないでしょ。アーク君にはすごく難しい提案を、しかも突然してるんだから」
 女性二人が子どもを窘めるように言う。幾許かの申し訳なさを感じ、アークは素直に頭を下げた。
「ごめんなさい。……えっと、それで」
 カーライルは頷いた。
「うん、リエンズ図書館に行って、あの本……『観察官見聞録』を探すことになると思う。リエンズ図書館はフィリアどころか大陸一の蔵書を誇っているし、あそこの司書さんたちはほぼ全ての本を把握しているという噂だから」
 観察官見聞録、とはカーライルが歴史書に見つけた引用文の出典である。ひどく堅苦しい文体で記されていて、しかもそもそも、その言語の解読がアークにしか叶わなかったものだ。もっとも、なぜその文章を読めたのかは、当の本人にも疑問ではあるが。
「リエンズ図書館……」
 新聞や旅人の話で何度も聞いたことのある言葉だ。とても大きな図書館で、首都から少し離れた場所にそれが出来たのをきっかけに近くに学院が建てられ、知を求める人々が集まり街ができ、やがてその周囲は学術都市となっていったという。
 図書館。いつも興味をもって聞きながら、自分には縁のない世界だろうと、半ば諦めの感情を抱かせる言葉だ。時には人々の目を見張らせ、時には夢の世界へと誘う、本たちが眠る場所。
 アークの部屋の棚にも、父の残した本が並べられている。しかしそれらは何度も何度も捲った馴染み深いもので、新たな驚きは与えてくれない。変わらない展開に冒険はいつしか日常と呼べるものとなり、そしてこれからもそういった日常が続くことを予感させるかのような本しかない。それはとうに父の本を踏破してしまったアークには、どこか物足りなさを感じさせるのだ。『鈴蘭の音色』に篭っていては、新たな本に出会う機会は極めて少ない。
 それから、アークが望む情報を、手に入れられる可能性も。
「その図書館に……僕も行けるかな」
 アークのまるで独り言のような発言に、カーライルは笑顔で返した。
「そのためにアークを誘っているんだから、勿論だよ」
 その笑顔につられるように、同時に胸の奥で何かが頷くのを感じて、アークはカーライルたちに応えた。
「行きたい。僕も首都に……図書館に連れて行ってほしいんだ。お願いします」
 居住まいを正して頭を下げる。五人もベッドの上で姿勢を直した。
「その言葉がとても嬉しいよ。こちらこそ、宜しくお願いします、という立場なんだから」
 カーライルも頭を下げる。
「これでしばらく六人旅になるわね! アーク君が来てくれると、すぐ進められるんじゃないかしら」
「……ああ」
「本当にありがとうですよ、アーク」
 改まった彼らの態度がくすぐったく感じられ、アークは笑みを零す。返される笑顔が心地好かった。
「それじゃあ、改めて。これからよろしく、アーク」


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