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 ファスの手にする地図とコンパスを頼りに進むと、簡単に、整備された道へと戻ることができた。前を行くユーレカ、しんがりを勤めるシュウに矢継ぎ早に質問を浴びせかけられ、アークはそれに順に答えていく。ファスは会話には加わらず、聞くだけに留めているようだった。
 もしかしたら僕の気を紛らわせてくれているのかもしれない、とアークは思う。傷を負った左足には包帯が白く際立っていた。ユーレカが痛み止めの薬をあてた後、巻いてくれたものだ。その処置のおかげで痛みは随分ひいたし、慣れたということもあったのかもしれない。また、シュウとユーレカがこうして話しかけてくれていることで、気を紛らわすこともできている。始めこそシュウを敵か味方か疑ってかかったものの、関わりができれば頼もしい三人だった。
 一時間も歩かないうちに森の入口へとたどり着いた。宿「鈴蘭の音色」の灯りが見えてくる。宿が開いていることを示す、戸口の外にかける小さな灯りである。白みかけた空に橙色の光が浮き立って、その光景は幻想的でさえあった。普段は旅客が全員寝てしまえば灯りは消すのに、と違和感を覚えて、まさかティアナは起きているのではという考えがアークの頭によぎる。
「ちょっと、先行ってます!」
 三人にそう伝えて、アークは鈴蘭の音色へと急ぐ。
 宿の横には荷車があり、そこに二頭のヤクが繋がれていた。ヤク達は頭を垂れたまま動かない。まるで置物のようだったが、アークの足音に胡乱気に首を振った。
「起こしてごめん」と目で訴えて、アークは宿の扉を押す。戸口に設置してあるベルが揺れる。その高い音の隙間を縫って、ティアナの声が聞こえてきた。
「もう外も明るくなったし、私行ってくるわ。問題はないでしょう?」
「そう焦らないで、日が昇ったら、村の連中にも声をかけよう。大勢で探した方がすぐ見つかるさ」
 宿の中はテーブルと椅子があるだけで、他に物もなく整然としていた。普段は旅客が置き忘れていった物や酒瓶などがテーブルの上に散らばっているのに、ここまで綺麗な状態であるのも珍しかった。外が明るくなってきてはいるものの、建物の中はまだ薄暗い。カウンターに近い一席に、人が二人いた。その内の一人はティアナだ。椅子から腰を浮かしかけている彼女を、初老の男がなだめていた。外にあった荷台の持ち主である。
「でもあいつ、重度の方向音痴なのよ。今頃どこに行ってるか……リアナみたいに突然いなくなってしまったら──」
 ティアナが言葉に詰まり、同時にベルが鳴り終わる。突如生まれた静寂に、ティアナはやや平静さを取り戻したようだった。ベルが鳴ったという事実に気づき、戸口へと顔を向ける。ティアナの網膜が、開け放したままの入り口の下に立っているアークを捉えた。
「……姉さん、ごめん」
 小さく言って、アークは両目を伏せる。ティアナの肩から手を離した男の口が三日月を描くのが見えた。アークは床の木目を見つめる。こんな時間まで自分が帰ってこなかったことが、一体今までにあっただろうか。十代の子どもに訪れると言われる反抗期というものをアークは意識したことがなかったし、また一緒に大人に反抗できるような子どももこの辺りには住んではいなかった。
「……まったく」
 靴音がして、視界の端につま先が現れた。アークはゆっくりと顔を上げる。
「甥っ子の癖に不良だなんて、許さないわよ! あんたがいないから後片付けも食器洗いも、全部私が済ませちゃったじゃない」
 ティアナは一息にそう言って、アークを睨んだ。怒っているのか泣きそうなのか、判別のつきにくい表情である。
 アークは謝罪の言葉をもう一度口にする。すると彼女は表情を一変させ、
「次の夕食はシチューポッドね」
 と歯を見せて笑った。心配させた分は、夕食に彼女の望むものを作ることでチャラにするということらしい。
「解決したようだね。それじゃあ、そろそろヤク達に怒られるから帰るよ」
 男は柔和な笑みを浮かべたまま、その頭に帽子を載せた。宿での宴会から今の今まで、寝ずに起きているティアナにずっと付いていてくれたのだろう。ティアナとアークは二人揃って礼を言う。男は困った時はお互い様だよ、と言葉を残して二人の横を通り過ぎて行った。
「こんな時間まで残ってくれてたなんて、取り乱しちゃって迷惑かけたわ……」
 ティアナは男の出て行った後を見つめながら呟く。
「ところでアーク、あんたどうやって森から帰ってきたの? あんたのことだから迷ったんでしょう?」
 視線を外さぬままティアナが問う。その断定の調子にアークは否定の声をあげようとしたが、その前にシュウ達のことを説明しなければいけないと思い返した。
「今晩はー……いや、お早うございます、か?」
「それよりも、法外な時間にすみません、が常識的だとレカは思いますです」
 一言も説明することができないうちに、戸口にシュウ、ユーレカ、ファスが現れた。滅多にない時間に客が現れたことに驚いてか、ティアナは目を瞬かせる。
「ティアナ姉さん、彼らが僕を助けてくれたんだ」
 アークが急いで端的な情報を与えると、ティアナはさっと動いて道を開けた。この切り替えの速さは、何年も宿の亭主を務めて身に着けた賜物だろう。
「いらっしゃい、どうぞ中へ」
 三人を中へと招き入れ、ティアナはアークに、室内用のランプに灯を点すよう命じた。アークは部屋の奥のカウンターへと急ぎ、三人の応対はティアナに任せた。
「こんな時間にすみません。部屋を一部屋、しばらく借りたいんだけど空いてます?」
 シュウの質問にティアナは天井を仰ぐ。今の空き部屋がどれだけあるか、予約が入っていたかどうかなど思い返しているのだろう。アークの知っている限り、今は宿泊客も予約客もほとんどいない。吟遊詩人が来る時期でもなく、部屋ならば通常よりも空いているはずだ。確認が終わったらしく、ティアナは手を打った。
「丁度、一番広い部屋が空いてるわ。あの方向音痴なアークを助けてくれた方達だもの、お礼じゃないけど、存分に使って!」
 開け放つような笑顔を見せたティアナに、
「やっぱ血が繋がってる、アークと言ってることがそっくりだ……!」
 シュウは一人吹き出し、ファスとユーレカは穏やかな表情を見せた。
 彼らはきっと隣国、テセルキィアから谷を通ってやってきたのだろうが、だとしたら宿に泊まるのは久しぶりであるはずだ。いくら慣れてはいても毎日変わる環境には疲れるだろうし、加えて、シュウ、そして話に聞けばファスも、盗賊と戦っている。早く休んでもらおうと、アークは三人を三階の部屋へと案内した。この宿には一つしかない五人部屋である。
「ベッドは人数分の方が部屋を広く使えていいでしょうから、昼になったら二つ片付けますね」
 アークが壁際に寄せて置いてある五つのベッドを示して言うと、ファスが首を横に振った。
「五つのままで大丈夫ですよ」
 ユーレカも補足するように言う。
 彼らは武器を壁に立てかけ、荷物を解き始めていた。ということは、そこそこ長い期間この宿に滞在するということだ。良い人達だし、気も合いそうだから、長く居てくれると嬉しいなあ……などとぼんやりと考えながら、軽く言葉を交わしてアークは部屋を退出した。
 三階から階段を一階分だけ下り、廊下の一番奥の自分の部屋へと入る。先ほど疲労のことを考えた時から自分自身にもそれが襲ってきていて、着替えもそこそこにアークはベッドに倒れこんでしまった。そしてそのまま泥のように眠った。目が覚めたのは、日が完全に昇ってからのことだった。


 第二章、了


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